国旗
チェコ=スロバキア連邦共和国の国歌は、チェコ共和国の国歌の我が家何処や(Kde domov můj?)と、スロバキア共和国の国歌である稲妻がタトラの上を走り去り(Nad Tatrou sa blýska)の2つである。基本的に国歌が演奏される時は、一番に「我が家何処や」、二番に「稲妻がタトラの上を走り去り」というふうに演奏されている。稲妻がタトラを走り去りに関しては第1節と第2節が存在するが、第1節のみが歌われる。スロバキア共和国の国歌として稲妻がタトラの上を走り去りが歌われる時のみ第2節が歌われる。

歌詞

1番(我が家何処や)

Kde domov můj,
kde domov můj?
Voda hučí po lučinách,
bory šumí po skalinách,
v sadě skví se jara květ,
zemský ráj to na pohled!
A to je ta krásná země,
země česká, domov můj,
země česká, domov můj!

2番(稲妻がタトラの上を走りさり)

Nad Tatrou sa blýska
hromy divo bijú.
Zastavme ich bratia,
ved' sa ony stratia,
Slováci ožijú.

(To Slovensko naše
posiaľ tvrdo spalo.
Ale blesky hromu
vzbudzujú ho k tomu,
aby sa prebralo.)

日本語訳

1番(我が家何処や)

我が家何処や
我が家何処や
猛る水は草地を横切り
松の木々は岩山にざわめく
庭は春花に燦然と輝き
眼前に広がる地上の楽園!
これぞかの美しき国
我が家チェコの国
我が家チェコの国!

2番(稲妻がタトラの上を走り去り)

稲妻がタトラの上を走り去り
雷鳴が轟く
いざ之を静めん、兄弟よ
彼らが消え去りしとき
スロバキア人は蘇る

(長きに眠りし
我らがスロバキアよ
稲妻の音が鳴り響き
此の地を奮わすとき
目覚めを告げる)

歴史

我が家何処や

1834年にプラハで初演されたフランティシェク・シュクロウプ作曲のオペラ "Fidlovačka aneb Žádný hněv a žádná rvačka (Fidlovačka, or No Anger and No Brawl)" で使用された旋律がベースになっている。また、首都プラハで毎年恒例のプラハの春音楽祭で、最初にスメタナの連作交響詩『我が祖国』とともに演奏される。

稲妻がタトラの上を走り去り


タトラ山脈
スロバキアはハンガリー王国の支配下にあり、ブラチスラヴァ?の福音ルーテル会館では、スロバキア民族運動の中心的立場にあった知識人活動家リュドヴィート・シュトゥールのもとで若い学生たちが学んでいた。ハンガリー当局によってシュトゥールがその職を追われると、1844年、学生たちは抗議の行進を行なった。

この抗議運動の中で「稲妻がタトラの上を走り去り」は誕生した。ヤンコ・マトゥーシュカがスロバキアとポーランド国境にそびえるタトラ山脈を題材に作詞、メロディーはスロバキア民謡の「彼女は小さな井戸を掘った」から採られた。この曲は1848年から1849年にかけてのスロバキア解放運動に参加した義勇兵らの間で人気を博し、1851年に出版された。

1918年のオーストリア・ハンガリー帝国崩壊を受けてチェコスロバキア共和国が成立、1920年に第1節がチェコスロバキアの国歌の一部となった。これはチェコの国歌である「我が家何処や」の第1節に続けて歌われた。

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