ここではチェコ=スロバキア連邦共和国の政治について述べる。
チェコ=スロバキアの憲法についてはチェコ=スロバキア連邦共和国憲法を参照
ボフスラフ・ソボトカ大統領
大統領旗
ミラン・ホバネツ首相
大統領は政治的な実権をもたない。
首相は任期5年で四選禁止。
ドイツ人政党や少数民族政党も存在したが第一共和国時代には政権を担当することはなかった。このうちズデーテン・ドイツ人党は1935年の国政選挙で第2党に躍進し、ナチスドイツとの結びつきを強めてチェコスロバキア政府に圧力をかけ、第一共和国解体に結びついた。また1918年のピッツバーグ協定に盛り込まれた「スロバキア人による自治」の履行を求めていたスロバキア人民党は、1939年に2代目党首のヨゼフ・ティソが[[スロバキア独立国](第一共和国)の独立を宣言して実権を掌握し、ナチス・ドイツと保護条約を締結。第二共和国の解体に結びついた。
一方、社会民主労働者党から分離して発足したチェコスロバキア共産党は、第一共和国時代には合法政党として活動し、国政選挙では常に10%以上の支持を獲得していた。ミュンヘン協定のあと非合法化されて1938年12月に解散し、中央執行委員会はモスクワに亡命して国外党指導部を設立。スロバキア国内にスロバキア共産党が発足した。第二次世界大戦後の1946年憲法制定国民議会選挙で第一党に躍進。1948年に閣内対立による非共産党閣僚辞任に乗じて書記長のゴットワルトが実権を握り(2月クーデター)、同年の総選挙で諸政党でつくる共産党主導の国民戦線が圧勝したことで一党独裁体制を確立した。
1935年 ファシスト系の国民同盟に再編。
・チェコスロバキア農村共和党
1922年 農業者・小農民共和党に改称。
1938年 チェコスロバキア人民党と統合して国民統一党に改称。
1938年 農業者・小農民共和党と統合して国民統一党に改称。
1945年 国民戦線の構成政党として復活。
1938年 チェコスロバキア国民社会党と統合して国民労働党に改称。
1945年 チェコスロバキア社会民主労働者党として復活
1946年 チェコスロバキア共産党に吸収統合。
・チェコスロバキア社会党
1926年 チェコスロバキア国民社会党に改称。
1938年 チェコスロバキア社会民主労働者党と統合して国民労働党に改称。
1945年 国民戦線の構成政党として復活。
・チェコスロバキア共産党
1921年 チェコスロバキア社会民主労働者党左派が分離して結成。
1946年 チェコスロバキア社会民主労働者党を吸収統合。
1925年 フリンカ・スロバキア人民党に改称。
・ドイツ人国民党
・農業者同盟
・ドイツ人キリスト教社会党
・ドイツ人国民社会主義労働者党
・ドイツ人社会民主党
・ズデーテン・ドイツ人党
「プラハの春」後の1969年にチェコ社会主義共和国とスロバキア社会主義共和国による連邦制に移行し、国権の最高機関として連邦議会が設けられた。同等の権限を有する人民院(定数150)と民族院(定数150)の二院制で、法案成立は両院可決を条件としていた。
人民院は人口に応じて定数を定めた選挙区選挙で、民族院は両共和国から各75人を選出して構成した。任期は5年。民族院の採決方法は、両共和国の議員団がそれぞれ別に投票を行ってともに賛成多数の場合に可決と見なす方式をとり、共和国単位の拒否権発動を担保していた。また両共和国にはそれぞれ一院制の地方議会であるチェコ国民議会(定数200)とスロバキア国民議会(定数150)が設けられた。
社会主義時代には両院とも5回の選挙が行われたが、チェコスロバキア共産党を含む統一戦線組織である国民戦線(Národní fronta)が全議席を占めた。秘密警察(国家公安省?)の暗躍により他党の活動はほぼ不可能であり、地下活動に徹した。連邦議会における国民戦線の構成政治組織は次の通り。
チェコスロバキア共産党
チェコスロバキア人民党 - 衛星政党
チェコスロバキア社会党
革命的労働組合運動
社会主義青年同盟
農民同盟
チェコスロバキア女性同盟
協同組合中央委員会
チェコスロバキア体育同盟
陸軍協力者同盟
チェコスロバキア反ファシズム戦士同盟
チェコスロバキア赤十字社
チェコスロバキア社会主義共和国防火同盟
チェコスロバキア科学技術協会
身体障害者同盟
チェコスロバキア平和委員会
社会主義者アカデミー
チェコスロバキアジャーナリスト同盟
チェコスロバキア郵趣同盟
民主化に伴い、人民院は任期満了の1990年に実施する総選挙までの間、暫定措置として国民戦線が占める議席の半数を民主化勢力に指名方式で明け渡すことになり、1989年12月から1990年2月にかけて段階的に実施された。同年6月には1948年の憲法制定国民議会選挙以来44年ぶりとなる自由選挙が行われ、チェコ共和国分では「市民フォーラム」、スロバキア共和国分では「暴力に反対する公衆」の両民主化グループが人民院、民族院とも第一党となった。
1992年6月には、ドイツのボン基本法を基にした新憲法が施行され、議会名は連邦議会(旧人民院)・連邦参議院(旧民族院)に変更された。
1994年には国民投票が行われ、大統領職が名誉職となり、議院内閣制を導入している。
チェコ=スロバキアの憲法についてはチェコ=スロバキア連邦共和国憲法を参照
ボフスラフ・ソボトカ大統領
大統領旗
ミラン・ホバネツ首相
大統領 | ボフスラフ・ソボトカ(社民) |
首相 | ミラン・ホバネツ(社民) |
議会 | 連邦参議院? |
連邦議会? | |
与党 | チェコ=スロバキア社会民主党 |
チェコ=スロバキアキリスト教民主同盟? |
大統領は政治的な実権をもたない。
首相は任期5年で四選禁止。
以下は連邦の最高機関を構成している。
・財務省
・連邦司法省
・国防省
・連邦内務省
・連邦労働社会省
・連邦教育・研究省
・連邦食糧・農業省
・連邦家庭・高齢者・女性・青少年省
・連邦保健省
・連邦環境省
・連邦交通・建設・都市開発省
・連邦経済開発協力省
・連邦経済エネルギー省
また連邦中級機関は最高連邦機関の直下に設けられている。しかし、例外的に幾つかの連邦庁は管轄省から半ば独立した組織も存在している。これらの例として税務連邦中央機関、連邦管理庁、連邦保険庁、連邦情報局、連邦憲法擁護庁、連邦ネットワーク庁、特許商標庁そして連邦市民防護・災害救援庁がある。
- 連邦大統領府
- 連邦議会議長
- 連邦参議院事務局
- 連邦憲法裁判所
- 連邦会計検査院
- 連邦首相府
- 文化・メディア連邦政府委員
- 連邦政府報道情報局
・財務省
・連邦司法省
・国防省
・連邦内務省
・連邦労働社会省
・連邦教育・研究省
・連邦食糧・農業省
・連邦家庭・高齢者・女性・青少年省
・連邦保健省
・連邦環境省
・連邦交通・建設・都市開発省
・連邦経済開発協力省
・連邦経済エネルギー省
また連邦中級機関は最高連邦機関の直下に設けられている。しかし、例外的に幾つかの連邦庁は管轄省から半ば独立した組織も存在している。これらの例として税務連邦中央機関、連邦管理庁、連邦保険庁、連邦情報局、連邦憲法擁護庁、連邦ネットワーク庁、特許商標庁そして連邦市民防護・災害救援庁がある。
詳しくはチェコ=スロバキア連邦共和国憲法?を参照
民主主義に基づく社会福祉国家という国家目的を規定することにより、社会権の実現を議会に委ねることを 目指している。こうして税金および社会保険料が25%を越える高負担が許容され、結果の公平が維持されている。最近は少し綻びが目立っている。
憲法が基礎としている自由主義・民主主義を防衛する義務を国民に課し、表現の自由や結社の自由などを自由主義・民主主義に敵対するために濫用した 場合は、これらの基本権を喪失する旨の規定が置かれている。憲法の法秩序を廃絶せんとする者に対して国民はいずれも他に手段がない場合、抵抗する権 利を有し(抵抗権)、また憲法を超越、特に、人権や民主主義を否定するような法律の制定は認められない。
本憲法下では軍隊(チェコ=スロバキア連邦軍?)の指揮権は平時にあっては国防大臣に、戦時にあっては首相に委ねられる。強大な権限を持っていた大統領 職は、新憲法下では儀礼的・象徴的なものに留められ、事実上は議院内閣制に移行した。
チェコスロバキア共和国(第一共和国) | |
トマーシュ・マサリク | (1918年-1935年) |
エドヴァルド・ベネシュ | (1935年-1938年) |
チェコ=スロバキア共和国(第二共和国) | |
エミール・ハーハ? | (1938年-1939年) |
ドイツ保護下のベーメン・メーレン保護領? | |
エミール・ハーハ | (1939年-1945年) |
ロンドン亡命政府 | |
エドヴァルド・ベネシュ | (1940年-1945年) |
チェコスロバキア共和国(第三共和国) | |
エドヴァルド・ベネシュ | (1945年-1948年) |
チェコスロバキア共和国(人民民主主義) | |
クレメント・ゴットワルト? | (1948年-1953年) |
アントニーン・ザーポトツキー? | (1953年-1957年) |
アントニーン・ノヴォトニー? | (1957年-1968年) |
チェコスロバキア社会主義共和国 | |
アントニーン・ノヴォトニー | (1960年-1968年) |
ルドヴィーク・スヴォボダ? | (1968年-1975年) |
グスターフ・フサーク? | (1975年-1989年) |
ヴァーツラフ・ハヴェル? | (1989年-1990年) |
チェコ=スロバキア連邦共和国 | |
ヴァーツラフ・ハヴェル | (1990年-2003年) 1994年より名誉職化 |
ヴラジミール・シュピドラ?(社民) | (2003年-2008年) |
ヴァーツラフ・クラウス?(自民) | (2008年-2013年) |
ボフスラフ・ズボトカ?(社民) | (2013年-) |
第一共和国 | |
カレル・クラマーシュ | (1918年-1919年) |
ヴラスチミル・トゥサル | (1919年-1920年) |
ヤン・チェルニー | (1920年-1921年) |
エドヴァルド・ベネシュ | (1921年-1922年) |
アントニーン・シュヴェフラ | (1922年-1926年) |
ヤン・チェルニー | (1926年-1926年) |
アントニーン・シュヴェフラ | (1926年-1929年) |
フランチシェク・ウドルジャル | (1929年-1932年) |
ヤン・マリペトル | (1932年-1935年) |
ミラン・ホッジャ | (1935年-1938年) |
第二共和国 | |
ヤン・シロヴィー | (1938年-1938年) |
ルドルフ・ベラン | (1938年-1939年) |
ロンドン亡命政府 | |
ヤン・シュラーメク | (1940年-1945年) |
第三共和国 | |
ズデニェク・フィールリンゲル | (1945年-1946年) |
クレメント・ゴットワルト | (1946年-1948年) |
社会主義体制下 | |
アントニーン・ザーポトツキー | (1948年-1953年) |
ヴィリアム・シロキー | (1953年-1963年) |
ヨゼフ・レナールト | (1963年-1968年) |
オルドジフ・チェルニーク | (1968年-1970年) |
ルボミール・シュトロウガル | (1970年-1988年) |
ラディスラフ・アダメッツ | (1988年-1989年) |
チェコ=スロバキア連邦共和国 | |
ラディスラフ・アダメッツ | (1989年-1992年) |
ヤン・ストラースキー | (1992年-1997年) |
第一共和国の議会制度はフランス第三共和政をモデルした体制で、元老院および代議院からなる二院制の国民議会を設け、男女普通選挙による直接選挙で議員を選出した。政党は小党が分立する状態が続いたが、政権を担当した主要5政党(国民民主党、農村共和党、人民党、社会民主労働者党、社会党)が非公式機関の5党委員会「ピェトカ」を設けて国会対策について調整した。
ドイツ人政党や少数民族政党も存在したが第一共和国時代には政権を担当することはなかった。このうちズデーテン・ドイツ人党は1935年の国政選挙で第2党に躍進し、ナチスドイツとの結びつきを強めてチェコスロバキア政府に圧力をかけ、第一共和国解体に結びついた。また1918年のピッツバーグ協定に盛り込まれた「スロバキア人による自治」の履行を求めていたスロバキア人民党は、1939年に2代目党首のヨゼフ・ティソが[[スロバキア独立国](第一共和国)の独立を宣言して実権を掌握し、ナチス・ドイツと保護条約を締結。第二共和国の解体に結びついた。
一方、社会民主労働者党から分離して発足したチェコスロバキア共産党は、第一共和国時代には合法政党として活動し、国政選挙では常に10%以上の支持を獲得していた。ミュンヘン協定のあと非合法化されて1938年12月に解散し、中央執行委員会はモスクワに亡命して国外党指導部を設立。スロバキア国内にスロバキア共産党が発足した。第二次世界大戦後の1946年憲法制定国民議会選挙で第一党に躍進。1948年に閣内対立による非共産党閣僚辞任に乗じて書記長のゴットワルトが実権を握り(2月クーデター)、同年の総選挙で諸政党でつくる共産党主導の国民戦線が圧勝したことで一党独裁体制を確立した。
- 民族主義保守政党
1935年 ファシスト系の国民同盟に再編。
・チェコスロバキア農村共和党
1922年 農業者・小農民共和党に改称。
1938年 チェコスロバキア人民党と統合して国民統一党に改称。
- カトリック政党
1938年 農業者・小農民共和党と統合して国民統一党に改称。
1945年 国民戦線の構成政党として復活。
- 社会主義・共産主義政党
1938年 チェコスロバキア国民社会党と統合して国民労働党に改称。
1945年 チェコスロバキア社会民主労働者党として復活
1946年 チェコスロバキア共産党に吸収統合。
・チェコスロバキア社会党
1926年 チェコスロバキア国民社会党に改称。
1938年 チェコスロバキア社会民主労働者党と統合して国民労働党に改称。
1945年 国民戦線の構成政党として復活。
・チェコスロバキア共産党
1921年 チェコスロバキア社会民主労働者党左派が分離して結成。
1946年 チェコスロバキア社会民主労働者党を吸収統合。
- ドイツ人政党・少数民族政党
1925年 フリンカ・スロバキア人民党に改称。
・ドイツ人国民党
・農業者同盟
・ドイツ人キリスト教社会党
・ドイツ人国民社会主義労働者党
・ドイツ人社会民主党
・ズデーテン・ドイツ人党
「プラハの春」後の1969年にチェコ社会主義共和国とスロバキア社会主義共和国による連邦制に移行し、国権の最高機関として連邦議会が設けられた。同等の権限を有する人民院(定数150)と民族院(定数150)の二院制で、法案成立は両院可決を条件としていた。
人民院は人口に応じて定数を定めた選挙区選挙で、民族院は両共和国から各75人を選出して構成した。任期は5年。民族院の採決方法は、両共和国の議員団がそれぞれ別に投票を行ってともに賛成多数の場合に可決と見なす方式をとり、共和国単位の拒否権発動を担保していた。また両共和国にはそれぞれ一院制の地方議会であるチェコ国民議会(定数200)とスロバキア国民議会(定数150)が設けられた。
社会主義時代には両院とも5回の選挙が行われたが、チェコスロバキア共産党を含む統一戦線組織である国民戦線(Národní fronta)が全議席を占めた。秘密警察(国家公安省?)の暗躍により他党の活動はほぼ不可能であり、地下活動に徹した。連邦議会における国民戦線の構成政治組織は次の通り。
チェコスロバキア共産党
チェコスロバキア人民党 - 衛星政党
チェコスロバキア社会党
革命的労働組合運動
社会主義青年同盟
農民同盟
チェコスロバキア女性同盟
協同組合中央委員会
チェコスロバキア体育同盟
陸軍協力者同盟
チェコスロバキア反ファシズム戦士同盟
チェコスロバキア赤十字社
チェコスロバキア社会主義共和国防火同盟
チェコスロバキア科学技術協会
身体障害者同盟
チェコスロバキア平和委員会
社会主義者アカデミー
チェコスロバキアジャーナリスト同盟
チェコスロバキア郵趣同盟
民主化に伴い、人民院は任期満了の1990年に実施する総選挙までの間、暫定措置として国民戦線が占める議席の半数を民主化勢力に指名方式で明け渡すことになり、1989年12月から1990年2月にかけて段階的に実施された。同年6月には1948年の憲法制定国民議会選挙以来44年ぶりとなる自由選挙が行われ、チェコ共和国分では「市民フォーラム」、スロバキア共和国分では「暴力に反対する公衆」の両民主化グループが人民院、民族院とも第一党となった。
1992年6月には、ドイツのボン基本法を基にした新憲法が施行され、議会名は連邦議会(旧人民院)・連邦参議院(旧民族院)に変更された。
1994年には国民投票が行われ、大統領職が名誉職となり、議院内閣制を導入している。
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