概要

 君主制国の珍しくないこの世界において、カリフォーニエン=ドイツも皇帝を有する立憲君主制国家である。ここでは同国の皇族、および海外王室/皇室との関係を示すとともに国内にいくつか存在する貴族も紹介する。

皇族

カリフォーニエン=ドイツ皇室

【フリードリヒ=ヴィッテンベルク・フォン・プロイセン】
Friedrich Wittenberg von Preußen
1995.7.19〜

 現皇帝、カリフォーニエン・ホーエンツォレルン家当主。ミュンヘンで生まれる。ドイツ連邦軍入隊後、家族と共にカリフォーニエンへ亡命。その後ロサンゼルスで大学に入学、政変後の2019年末に皇帝に選出される。両親は航空事故で他界しており、妹にエレーナ姫がいる。ブランデンブルク現皇帝、ウィルヘルム6世は叔父にあたる。
 若くして皇帝になったが両親が他界していたことと、ドイツにとって約1世紀ぶりの君主制への移行のためかつての宮廷の慣習は一部失われているものもあり、摂政や顧問官は行われなかった。皇帝として、国の立憲君主制の維持に強い関心があり、自分を神格化したり自分個人に忠誠を誓うなどの行為は嫌っている。一方でエレーナがブラジル皇室と婚姻関係に入ったあとも彼女の影響からカリフォーニエン皇室の人気は健在であり、災害などの国難時にそれで国民の士気が上がるなら、と「皇室利用」には積極的である。政治とは距離を置くものの閣僚たちに定期的に国内政治状況を報告させている他、自らが直接指揮する近衛師団の関係上軍部との関係も密である。このあたりは旧プロイセン王室、ドイツ皇室時代からの伝統が受け継がれていると言ってよいだろう。
 若い皇帝として有名なヴィッテンベルクだが非常にアグレッシブな性格であり、宮殿から移動する際は行事時を除いて自分で運転している。日本のホンダ車を愛しており、国産のテスラXの他にシビックタイプR欧州仕様版を保有していて隣にエレーナ皇女を乗せてよくロサンゼルス市内をドライブする姿がよく確認されていた。
 妹の縁談に伴い、ブラジル皇室との関係強化のためにブラジルポルトガル語の勉強を始めた。

【フリードリヒ=エレーナ・フォン・プロイセン】
Friedrich Erena von Preußen
2003.8.22〜

 ミュンヘンで生まれる。2016年の政変後家族と共にカリフォーニエンへ亡命する。若干16歳にしてブラジル皇室より縁談が来ており、レオポルド・ランペルツ・ブラサンガとの交際がスタートしたときには世間を賑わせた。母親譲りの美貌とドイツ人女性皇族には珍しい謙虚で奥ゆかしい性格から国内外で人気であり、カリフォーニエン皇室の人気は彼女が支えていると言ってよい。婚約に伴い2020年9月にマナウスの高校に編入予定。旧カリフォーニエン=ドイツ皇女。

歴代皇帝

1. フリードリヒ=ヴィッテンベルク・フォン・プロイセン
在位:2019.12.25〜

ブランデンブルク皇室との関係

 同君連合ではないものの、ブランデンブルク皇室(ブランデンブルク・ホーエンツォレルン家)は同一家系、同一族である。欧州ドイツ領がブランデンブルク帝国に変わり、情勢が安定してきているので同家との交流が復活した。両皇室とも政府同然互いに良好な関係であり、将来的に一つの国として再統合されることを望んでいる。

ブランデンブルクのホーエンツォレルン家

 ホーエンツォレルン家は元来プロイセン王室の流れを引き、その後プロイセンが中心となってドイツが統一された際、ドイツ皇帝となった。第一次世界大戦前後の革命によって皇族はオランダへ逃れ、1920年代から1950年代にかけてドイツ西部地域に戻った。その後は拠点をミュンヘンに移し、バイエルン州に居を構える者も多かった。現在ブランデンブルク帝国の首都がミュンヘンであるのも、全く無関係なわけではない。
 詳しくはブランデンブルクの名家内の「ホーエンツォレルン家」も参照されたい。

その他の貴族

 旧ドイツ連邦共和国基本法では国民は皆平等であり、出身や身分による区別があってはならないという絶対的原則から貴族は廃止されていた。一方で伝統的に貴族や有力諸侯を示すものになるvonから始まる姓名は維持を許され、さらに正当な理由なく他人が姓にvonをつけることは禁止された。つまり、旧ドイツにおいて貴族は建前上廃止されたものの、その名前を見れば明らかであり、事実上形式的なものとしては維持されていたと考えていい。貴族にルーツを持つものの多くは自らにvonがつく姓があることを隠さなかった。2000年代初頭には、von姓が2万人を下回らない数存在していたことが確認されている。彼らはなんらかの政治運動に携わったわけではないが、自らのルーツに誇りを持ち、連邦軍や公務員職に就くものが多かった。「貴族クラブ」なるものも各州にあった。
 2016年の政変後、旧貴族たちの大半は国に残り、極右政権と、ついで過激化してしまった臨時政府と戦った。貴族は国民とともにあるべき、というのが彼らの考えだったからだ。それでも一部の貴族はカリフォーニエン自治領(当時)に亡命していった。政府の亡命以前からカリフォーニエンで生活していたシュタウフェンベルク家を含め、現在国内に3貴族が存在する。カリフォーニエン=ドイツでは貴族制を復活させたため、彼らも実に1世紀ぶりに貴族として正式に復帰した。

ヴィッテルスバッハ家

 ヴィッテルスバッハ家(Wittelsbach)は、旧バイエルン王国の有力諸侯をルーツとする。2020年6月現在、現プロイセン参謀本部参謀総長はヴィッテルスバッハ家出身である。余談だが、彼はドイツ連邦軍時代陸軍士官学校でヴィッテンベルク帝と一緒であった期間があり、個人的な親交がある。

シュタウフェンベルク家

 シュタウフェンベルク家(Stauffenberg)は1944年の7月20日事件でヒトラー暗殺を試みた、クラウス・フォン・シュタウフェンベルクが特に有名。このため戦後西ドイツ内では高く評価され、人気もあった。1980年代以降、カリフォーニエンへ移住した。

ノイエザクセン家

 ノイエザクセン家(Neuesachsen)は旧ザクセン王国王家の流れを引く。カリフォーニエン亡命後、ドイツがネオナチに奪われてしまったとして名前を変えた。

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