カザフ国内で製鉄業を行っていた家系の息子だったニアンが、1854年に立ち上げた企業が原型である。
当時のカザフ国内ではコータス族への迫害が強まっており、ニアンは、コータス族の雇用と保護を約束することでコータス族の資本家から多額の融資を受けられると考え、その資金を元として、当時の覇権国家であったイギリスの最新の技術を利用した大規模な製鉄所を建設する計画を立てていた。
ニアンはそれを実行するためにけ3年からイギリスを回り、鋼の精錬方法を研究している人間を探した。しかし、実用的な精錬方法はなかなか見つからず、近くにあったディーンの森へ休憩を取ろうと入った時、たまたま実験を行っていたロバート・フォレスター・マシェットと出会い、彼の研究が非常に実用的な精錬方法であることに気がついたニアンが、それを利用した工場の建設契約を結んだことがNiANの始まりとなった。
NiANは多額の資金を投じて工場を建設し、国内北部にあった鉄鉱山と炭鉱からの鉄道を工場まで敷設、生産した鋼をPLM帝国へ輸出し、NiANは大きな利益を上げた。
コータス族の雇用は継続的に行われ、カザフ国とウズベク国が連邦となった1895年の時点で、社員の6割がコータス族であった。明確な差別階級であったコータス族を保護するような行動に国民からの反感は大きかったが、NiANの主な取引先は国外で、鉄鉱石は自社の鉄鉱山から採掘していたし、輸送用の鉄道もNiANのものであった。そのため、周辺国との関係などもあり、政府はNiANに強く要請することが出来なかった。それを理解していたNiANは、逆に国内向けの鋼の生産を辞めるといった行動をチラつかせながら圧力をかけ、コータス族の雇用割合の低下といった政府からの要求を全て拒否していた。これらのやり取りはその後も続けられたが、1930年を過ぎた頃から政府も口を出さなくなった。
1915年頃からNiANはステンレス鋼などの合金類の製造を計画していた。それに合わせ、NiANは国内のクロム鉱床と国外からのクロムの輸入先を探し、現在年間で320万tのクロムを生産する世界有数のクロム鉱山、ドンスコイ鉱山を発見し、採掘とステンレス鋼の生産を開始した。さらに、クロムを探す上で見つかったオスケメン、バルカシュ、ジェスカスガンの銅鉱山を利用した銅鉱石の精錬と輸出も進められ、NiANは中央アジアにおける鉱石資源の大半を牛耳る巨大企業へと成長した。
そして1950年代に入ってすぐ、NiANは国内外のファインセラミックスを含むセラミックス製造企業を買収し、セラミックスの生産を開始した。セラミックスは主に自動車メーカーなどにも供給され、時代の変化とともに半導体素子用として
BAグループにも販売されるようになった。セラミックス関連の売上が好調であることを確認したNiANは、さらに多数の企業を買収し、資金注入や統合を行いながら再建を行ったり、ノウハウを持った人材を集めて新たな企業を立ち上げるなどし、多角化とコングロマリット化を急速に進めていった。この時に作られた企業は1998年の事業整理の際に殆どが独立したものの、現在もNiAN社との業務提携を行いながら存続し、成長を続けている。また、買収した銀行を通じて、多くのベンチャー企業に対して慈善事業に近い形で資金提供などを行っていた。出資された企業の中では一般的に
デンドロベートが特筆すべき企業のひとつとされ、
デンドロベートは
BAグループとNiANの両方と現在でも提携を結んでいる。
さらに、1960年頃になると、リーベリ社(現
リーベリグループ)が生産している戦闘機や旅客機の素材にチタンが必要となり、他国から輸入したチタンを精錬する大規模工場の建設が進められた。また、航空機用のアルミニウム合金などの生産も開始され、国内外問わず、航空機メーカー向けの供給が増加した。
1970年代に入ると、NiANは国内外の原子力発電所用のウランの採掘と核燃料の生産を開始した。ウランの採掘量は年々増大し、最盛期には年間2万tを超える程の生産量を誇っていた。その殆どはPLMと国内原子炉向けのものであり、1982年に原子炉が停止されてからはPLMへの輸出が9割を占め、95年に政府がウラン輸出に関する方針転換を行ってから、生産量も徐々に低下していった。
1995年のクーデター後は、地下資源を政府の管理下に置くために進められた法整備により、鉱山は全て国営企業の
カランドグループへ売却することとなった。鉱山は破格に近い価格で売却されたが、 これは国内の精錬業への新規参入の難易度を高める法整備を行い、尚且つ
カランドグループの鉱石の国内供給先をNiANと
グレイグループのみとする、という契約が結ばれた為に実現したものであった。
以後は
アルミヤ連邦共和国の豊富な地下資源を寡占し、コングロマリットの競争力低下をうけて1998年に事業整理を開始。製錬、窯業、それらの関連事業のみを有する現在の形に落ち着いた。