架空国家を作ろう 第2.6世界線 - 東トルコ鉱毒浄土作戦

東トルコ鉱毒浄土作戦

概要

オスマン連邦の前身であるオスマン共和国が行った東トルコに対する浄土作戦、化学戦争の先駆けとも言われている。この結果オスマン共和国は東トルコを放棄することとなった。現在の東トルコは無人地帯となっている。

前史

1830年代、オスマン帝国宗教科学研究所ではある鉱石の不純物が人体に極めて重大なダメージを与えることを発見した。これはこの不純物によって汚染された食物を継続して摂取すると人体に重大な影響を及ぼすものを示すものであった。オスマン帝国はこの不純物に秘匿名称天罰の石を与え宗教科学研究所VIII区画に備蓄されるようになった。オスマン連邦は自らが制御できない敵地にこれを散布して敵にも利用不能にするのが好ましいとした。これはオスマン共和国にも引き継がれた。この時、遅効性であることも好ましいとされた。

実行

クリミア戦争によるオスマン共和国の置かれた立場は極めて劣悪でありクリミア半島の陥落は免れないものとなった。次に狙われるのは陸路で繋がる東トルコでありこれも防衛は困難なものとされた。中枢領域である西トルコの防衛の為には東トルコをモクスワに兵站拠点として使われる訳にはいかなかった。この時オスマン共和国政府は宗教科学研究所に対し天罰の石の東トルコへの散布を命令、皮肉にも敵地に使うはずの兵器は自国領土に使われることとなった。
宗教科学研究所は東トルコの各地に天罰の石の溶液を各地に散布した。特に農地には積極的に散布された。東トルコの住民は詳細を知らされず放置されたためこの天罰の石の餌食になったとされる。モクスワ兵たちも現地調達した食物を長期間摂取したためにこの天罰の石の餌食となった。推定犠牲者はモクスワ兵2500名程度、住民は不明である。

その後

オスマン共和国はその後宗教科学研究所に除染の可能性について問い合わせたが当時の宗教科学研究所にはその能力は無く答えは否であった。オスマン帝国はこの地域を放棄し不毛な土地として緩衝地域とすることを決定した。そのためにオスマン連邦の国土は東経35°までとなっている。天罰の石は今ではカドミウムと呼ばれている。