架空国家を作ろう 第2.6世界線 - 第二次ブリテン戦争
第二次ブリテン戦争
時:皇歴13年(1980年)〜皇歴15年(1982年)
場所:ブリテン島
結果:シーランド帝国の勝利、イギリスの滅亡
交戦勢力
シーランド帝国不明
指揮官
ライオネス・ロバーツ・ペンドラゴン不明
兵数
103,50075,000
損害
12,000(軍人)43,000(軍人)
3,000(民間人)107,800(民間人)



背景

ライオネス・ロバーツ・ペンドラゴンはクーデターによって揺らいだ威信の回復の為に北部イギリス政府に目を付けた。イギリスはシーランド帝国に備えて国防に力を入れつつあり数年もすれば対抗すら出来なくなると予想されていた。ライオネスは今のうちにイギリスを叩くことを決め軍隊を徴兵しイギリスに宣戦布告した。

経過

シーランド帝国は編成したシーランド帝国軍を用いて北部イギリス政府に侵攻した。北部イギリス政府もスコットランドとイングランドの国境部に軍を配備して備えていたがシーランド帝国軍は数の利を生かして無理矢理に突破すると2月18日にエディンバラを、21日にグラスゴーを包囲した。しかし、両都市は徹底的な抗戦を主張し抵抗を続けた。その一方で北部イギリス政府軍は両都市の開放を目指し幾度となく攻撃を仕掛けてきたがその度にシーランド帝国軍は追い返した。
しかし、半年後には英国艦隊を用いて艦砲射撃を開始した。この砲撃をうけてシーランド帝国軍には数千もの死傷者を出したが包囲を解くほどの攻撃にはならず艦隊は撤退した。これ以降は数少ない空軍を用いて艦隊に攻撃を始めた事もあり艦隊が近づくことはなくなった。
1982年3月、グラスゴーが陥落。抵抗していた北部イギリス政府軍は武装解除の後降伏した。この報告を聞いたライオネス・ロバーツ・ペンドラゴンは大攻勢を決定し前線部隊に通達された。1982年4月1日、エイプリルフール攻勢と呼ばれた大攻勢が開始された。シーランド帝国軍はスコットランド北部にあるダーネスまで駆け抜ける気持ちで攻撃と全身を続けた。バースを前線にしていた北部イギリス政府軍は包囲殲滅や降伏を続け5月13日にはスコットランドの殆どを占領下に置く事となった。そして6月9日にエディンバラは降伏すると同時に北部イギリス政府としても降伏を宣言した。

影響

ライオネス・ロバーツ・ペンドラゴンはこの勝利を大々的に報道させペンドラゴン家の威信を大きく上昇させた。

戦略