更新世氷河期時代、台湾は中国大陸と陸続きであり、原住民はここから流入してきたと言われる。現在の台湾で発見された最も古い人類は左鎮人であるが、生活などの情報は残念ながら明らかになってはいない。しかし、旧石器時代にあたる5万年から1万年前には長浜文化という独自の文明があったことが明らかとなっており、現状ではこれが最も古い台湾の歴史だ。新石器時代のものと思われる出土品の中には、貨幣が存在しており、台湾以外の地域との外交があったということがこのことから分かる。オーストロネシア語族にあたる台湾原住民は北から漢族の圧力に遭うこととなり、その際に台湾に逃れたと思われる。周辺国との関係を表すと、琉球の1部であったという記録、中華と冊封体制を結んでいたという記録、倭寇の本拠地となっていた記録などがあり、台湾の独立国があった様子はない。その倭寇の活動が活発化してからというもの、日本人や漢族が移り住み、原住民とは文化が離れていった。そしてその時代は、オランダ、ポルトガル、スペインなどの海洋国家が犇めく大航海時代に突入。アメリカ、フィリピン、アフリカなどの世界各地に植民地を建設されるようになった。台湾も例外ではなく、ヨーロッパ各国から来訪者(現地語でtayouan➡台湾の語源)が増加し、ついにはオランダやスペインが台湾を領有し、アジアにおける貿易や軍事の拠点として使用されるようになった。日本も台湾への領土的野心があり、その当時の日本の統一者である豊臣秀吉は高山国(台湾のこと)に対して朝貢を促す手紙を出し、商人も送り込んだ。その後も2度にわたって軍隊を派遣して領有を試みた。
1642年にオランダの東インド会社はスペイン勢力を追い出して独自の統治を確立。福建省、広東省から漢族の出稼ぎ労働者を募集し、プランテーション建設を試みた。しかし1662年に中華勢力から追放され、オランダは台湾を手放すこととなった。
それから中華統治時代が開始される。オランダを追放した中国勢力は漢民族で、明の系列を持つものである。しかし清朝に明は滅ぼされ、台湾に残された明の種族はその後も台湾を統治し、この時代は明鄭統治時代と呼ばれる。しかし、建国者の死もあり、たったの21~23年で終了。最初の統一台湾独立国は早期に終了した。
滅亡させた清朝は、反清朝の勢力を倒すことが目的であり、台湾の領有は考慮しておらず、消極的であった。しかし王朝の議論により福建省に一府三県で編入。しかし台湾は化外の地として放置され、現地住民も化外の民とされてきた。そのため清朝は台湾に行く女性の渡航を制限し、定住を阻止しようとした。その影響でオーストロネシア語族の原住民と漢民族のハーフである、現在の台湾人が生まれた。しかしながら相次ぐ日本や欧州の進出から清朝は台湾の重要性を理解し、台湾を開発、強化するとこに乗り出した。しかしすぐに日清戦争が開始され、清朝は敗北。台湾も手放すこととなった。日本への編入に反対する勢力が台湾民主国を建国したが、日本に敗れて日本による併合が決定した。日本政府は工業を日本、農業を台湾に分担することとしたため、この時点で農業が発達。さらに日本の働きかけで近代化が進み、学校の建設が続いて就学率は71%に昇った。アヘンの抑制や水インフラ整備と衛生環境の改善を行い、太平洋戦争の際には軍需に合わせて工業化が進んだ。
やがて日本政府が敗戦し、中華民主共和国時代を迎えるが、やがて三島神聖政府連合の一角として台湾が分離。そして2021年11月5日に台湾神聖政府の崩壊と、中華民主共和国連邦の流入により
台湾戦争が勃発、日本の支援により中華民主共和国連邦を打ち破り、台湾共和国を建国。