1998年、
アルミヤ連邦共和国陸軍が空挺部隊以外の即応機動部隊を欲し、研究を開始したのが始まりである。2000年までに即応機動部隊計画はカスピ海における機動部隊計画へと変化し、同時期に研究されていた南方防衛計画や、カスピ海における影響力の確保に関する研究などと合流しながら研究が進められた。
そして2005年、カラクム砂漠やトゥラン平地が
スタン共和国連邦の兵站線に極めて多くの負担をもたらすと考えられるため、遅滞と撤退を繰り返しながら北上し、伸びきった兵站線に継続的に攻撃を行う事で敵の補給状況を悪化させた上で、強力な機甲師団による強引な突破と、機動部隊と空挺部隊による退路遮断を利用した包囲殲滅を行う防御作戦計画が立案され、それに合わせた軍の再編が進められた。
その再編において、後方に軽歩兵のみならず強力な重装甲部隊を投入したいという軍上層部の要望を受け、カスピ海を利用した重装甲部隊の投入用の輸送艦が計画された。この計画は北部、東武、西部の防衛を担当する機甲師団、機械化歩兵師団、山岳師団、空挺師団の配備が優先されたために研究程度に留まり、実際に計画が開始されたのは2010年に入ってからであった。
そして、カスピ海では大型艦艇の運用が難しく、コストパフォーマンスの都合上様々な問題があることなどから、海上機動軍の輸送艦は地面効果翼機とエアクッション型揚陸艦の二択へと絞られ、最終的に
リーベリグループはエアクッション型揚陸艦を開発することを決定した。
2012年には
LCAC-II?の試作艦が完成し、試験において優秀な性能を示したことから配備が決定された。
2015年から一部を改良した量産モデルがロールアウトし、海上機動軍へ配備された。