架空国家を作ろう 第2.6世界線 - ポーランド・リトアニア・モスクワ帝国軍
ポーランド・リトアニア・モスクワ帝国

陸海空に関してはポーランド・リトアニア・モスクワ帝国の軍備報告参照。
ここでは、ポーランド・リトアニア・モスクワ帝国軍のそれ以外の軍事面について述べる。

核戦略

ポーランド・リトアニア・モスクワ帝国は、第二次世界大戦による教訓から、さらなる技術水準の向上、及び核戦略の確立を目指してきた。
1945年にアメリゴが広島に核兵器を投下して以降、ポーランド・リトアニア・モスクワ帝国は核の脅威におびえてきた。
あの破壊が我が国に向いたらどうなるのか、それを想像したものは対抗策を練る。そして気づく。
「我々もその兵器を手に入れればいいではないか」
1948年、ポーランド・リトアニア・モスクワ帝国は、ノヴァヤゼムリャにて核実験を実施。世界で2番目の核保有国となった。
その後、近隣各国が次々と核武装していく様を見たポーランド・リトアニア・モスクワ帝国は、さらなる核武装の充実を進めていく。
さらなる爆撃機のステルス性向上・高速化、小型核の開発、弾道ミサイルの核兵器搭載。
近隣諸国の脅威から守るはずだったものは、逆に他国をおびえさせ、終わることのない核軍拡を生み出していく。
そして、1952年、スタニスワフ・ウラムなどの協力により、水素爆弾の製造に成功する。
それからも核兵器の開発は進み、1961年にノヴァヤゼムリャ核実験場にて50Mt*1の威力を持つ「ツァーリ・ボンバ」の使用に至った。

ミサイル戦略

ミサイルは、第二次世界大戦中のV2ミサイルが起源である。
ポーランド・リトアニア・モスクワ帝国は、第二次世界大戦の終戦に伴い、大量の科学者を引き込み、様々な研究を行わせた。
そのなかで、成果が出たものの一つがミサイルである。
1947年、ポーランド・リトアニア・モスクワ帝国はV2ロケットのリバースエンジニアリングに成功し、11機のV2ロケットを打ち上げた。
翌年、内部での競争が絶えなかったポーランド・リトアニア・モスクワ帝国のロケット開発チームは、ポーランド・リトアニア・モスクワ帝国ロケット開発局となり、一本化されることとなった。
1956年、ポーランド・リトアニア・モスクワ帝国の開発局が一丸となって開発したサテリタ計画?は、サテリタ1号の地球軌道周回成功によってさらなる開発が推し進められることになる。
その後、1957年にフスフッド計画?によって有人宇宙飛行を達成。宇宙に届くロケットが開発された。
同年に世界初の大陸間弾道ミサイル「Р-7」の開発に成功し、さらなる軍拡を推し進めていく。

相互確証破壊

1960年代後半、衛星技術とミサイル技術で他国を抜きんでたポーランド・リトアニア・モスクワ帝国は、敵ミサイルを衛星で識別し、領土到達前に同じくミサイルを撃ち込むことが可能となった。
これにより、1969年にポーランド・リトアニア・モスクワ帝国は核武装の完成を発表。もはや大国間の戦争は起こりえないとし、終わりなき軍拡に終止符が打たれたとした。
しかし、当然他国がこれを許すはずがなく、さらなる軍拡が推し進められて行く。
ポーランド・リトアニア・モスクワ帝国は相互確証破壊のより強力な確立と、奇襲性能の向上を目指し、現在でも核開発を進めている。

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