架空国家を作ろう 第2.6世界線 - ベアトリス1世
ベアトリス1世
出生1926年4月21日
死没1989年5月10日
出生地イギリスロンドン
享年73歳
性別女性
学歴
職業元イギリス女王
称号特になし

来歴

イギリス及び北部イギリス政府女王を長年務める。1953年に女王となるが1969年に第一次ブリテン戦争が勃発。包囲されるロンドンから命辛々脱出しバーミンガムに身を寄せた。しかし、直ぐにシーランド帝国軍が迫ってきた為更に北部、エディンバラまで逃亡した。逃亡途中に息子のエドワード王太子と合流。無事にエディンバラにまで逃げる事が出来た。その後はシーランド帝国との講和を纏めたり北部イギリス政府の建国及び政府機能の回復に尽力を務めた。
必ず奪われた領土を取り返すと宣言しておりその為の活動も精力的に行った。しかし、1980年に第二次ブリテン戦争が発生。僅か一年でエディンバラを包囲されると兵の鼓舞を行うなど抵抗の構えを見せたが一年の籠城の末に捕縛された。第二次ブリテン戦争が正式に終了するとカーディガン湾に作られたシーランド帝国特別収容所に収容された。その後裁判が行われ死刑判決となった。息子や孫との面会は短時間だが許され穏やかな時間を送っていた1989年5月10日午後14:00、死刑執行された。次の面会日を翌日に控えた中での執行であった。

親族

エドワード王太子:息子
リチャード王太子:孫
ベアトリス2世:孫
他にも兄弟姉妹や叔父、叔母がいたが上記の人物以外は第一次ブリテン戦争で死亡した。

エピソード

イギリスの国民から慕われていた人物で死刑の取り消しを要求する人物が後を絶たなかった。シーランド帝国の上層部も死刑の取り消しを本格的に考えていたが二代目皇帝ライオネス・ロバーツ・ペンドラゴンの強行で執行された。この行いがシーランド帝国に及ぼした影響は大きく第三次ブリテン戦争の参加者の中にはこの時の影響を受けている者もいたほど。三代目皇帝ウィリアム・ロバーツ・ペンドラゴンは唯一残ったイギリス王族であるベアトリス2世を処刑する事はなく修道院で一生を終える事を条件に釈放している。

名言

「より良い日は巡ってくる。また会いましょう」(エドワード王太子が最後にベアトリス1世と面会した時に最後に聞いた言葉)