イギリス及び
北部イギリス政府女王を長年務める。1953年に女王となるが1969年に
第一次ブリテン戦争が勃発。包囲される
ロンドンから命辛々脱出し
バーミンガムに身を寄せた。しかし、直ぐに
シーランド帝国軍が迫ってきた為更に北部、
エディンバラまで逃亡した。逃亡途中に息子の
エドワード王太子と合流。無事にエディンバラにまで逃げる事が出来た。その後は
シーランド帝国との講和を纏めたり北部イギリス政府の建国及び政府機能の回復に尽力を務めた。
必ず奪われた領土を取り返すと宣言しておりその為の活動も精力的に行った。しかし、1980年に
第二次ブリテン戦争が発生。僅か一年でエディンバラを包囲されると兵の鼓舞を行うなど抵抗の構えを見せたが一年の籠城の末に捕縛された。第二次ブリテン戦争が正式に終了するとカーディガン湾に作られた
シーランド帝国特別収容所に収容された。その後裁判が行われ死刑判決となった。息子や孫との面会は短時間だが許され穏やかな時間を送っていた1989年5月10日午後14:00、死刑執行された。次の面会日を翌日に控えた中での執行であった。