架空国家を作ろう 第2.6世界線 - ブランデンブルクのカトラス人迫害
「時代錯誤のジェノサイド」
        ヨアヒム・グラーツ教授


概要

7月1日、突如ミュンヘンに数十両のトラックと役70名の憲兵が集結した。彼らはミュンヘン市警や市内の駐屯兵団と合流し、ミュンヘン市内に滞在中のカトラス人約500名を逮捕。逮捕されたカトラス人はトラックに乗せられるか、歩かされるかしてドイツ南部のフュッセン収容所?に移送された。そこで彼らのほとんどが銃殺されたのだ。

収容所内での出来事

移送されたカトラス人は、収容所の入口で降ろされた。入口には数名の将校と数十名の憲兵が立っていた。彼らは将校や憲兵に荷物と旅券を没収され、収容所内に連行された。少しでも抵抗した者、脱出を図ろうとした者はその場で憲兵に射殺されたと言う…。彼らは収容所の一角にある広い広場に連行された。そこには、予め掘られた一直線の塹壕のような溝と、汎用機関銃(MG42)を持った憲兵が静かに不運なカトラス人たちを見つめていた。そして、カトラス人たちは十数名づつ、溝の前に立たされた。十数名が整列し終わると、将校がMG42を持った憲兵に合図を送った。MG42を持った憲兵は、整列したカトラス人たちの前を歩きながら、彼らに銃弾を浴びせた。撃たれたものはそのまま後ろの溝に落ち、それを見たカトラス人達の悲鳴が響き渡った。整列した全員が撃ち殺された後、同じ場所にまた十数名が並べられ、撃たれた。それを何度も何度も繰り返した。椅子に座ってそれを見ている将校達は、嫌な顔をする所か、まるでサーカスを見るかのような表情を浮かべて虐殺を見ていたと言う…。そして、その残酷な虐殺が4日間繰り返された。どうやら将校達は虐殺を自慢げに外部にばらし回っていたらしく、その事はすぐカトラス政府首脳部の耳にまで届いた。虐殺が始まって4日目の昼、メルセデス・ベンツに乗った士官が収容所にやって来た。彼は、恐らく虐殺の中止を伝えに来たのだろう、現場で指揮していた将校と何かを話した後、やって来た士官と共にベンツに乗り、収容所を出ていった。その後、カトラス人達は再び憲兵達にトラックに乗せられた。彼らはその後、空港に行き、カトラス側に保護された。

理由

虐殺が起こった理由は定かではない。「カトラス人たちの中に連邦共和国時代のようなテロリストがいると恐れた説」、「カトラスに侵攻しようとした説(これは他国の介入を招く可能性がある為、良策とは言えないだろうから否定されている)」、「単に民族浄化を行いたかった説」等、多くの仮説が立てられている。ひとつ言えるのは、この虐殺には多くの高級将校が関与していたという事だ。
情報提供
  • MagyarHírek