家祖のジョアンはアラリ公の次男である。
ジョアンは兄のアンジェロが、コロネルとして各地を転戦していた頃、所領のパライーバ渓谷のコーヒー荘園
ファゼンダ・フェルナンドを守り、捻出した費用からアンジェロの連隊を影で支えてきた。
その功績はアンジェロがペドロ2世から、ブラサンガ家を受領した際に、アンジェロがペドロ2世に奏上し、ペドロ2世より直々にパライーバ子爵号を授与された程である。
また子弟にも恵まれ、本来なら1代限りの筈のブラガンサ王朝(これは新王朝でも継続している)において、代々継承している点でも稀有と見るべきである。
ブラジル合衆国の時代になり、
ブラサンガ家が海外亡命した後もパライーバ渓谷を守り続け、経営不振となった近隣の各種荘園を取り込んで行き
パライーバコーヒーの基盤を作った。
そして、基盤となる荘園を安定させると
リオデジャネイロ造船所に投資を始め、かつ船主として雇われ船長たちを使い、自家生産のコーヒー豆を中心とした貿易に手を出し始める。
これが
フェルナンド海運の始まりとされる。
そして
パライーバコーヒーと
フェルナンド海運の2大柱を主に合衆国内で頭角を表すも、共和制時代において帝国主義的資本主義はあまり良い目で見られず、規模は拡大も縮小もせずに第1次世界大戦を迎えた。
帝国主義と植民地政策の帰結と言われた第1次世界大戦は、フェルナンド家には然程の影響を出さずに終わり、ブラジル共和制はヴァルガスの軍事クーデターにより倒れ、軍事政権が誕生する。
軍事政権に取って
フェルナンド家は明らかな王党派であり、目の上のたんこぶで有ったが内に共和主義者と言う難敵を抱える軍事政権は王党派を敵に回す意志はなく、
フェルナンド家はここでも介入を受けずに第2次世界大戦を乗り切ったのである。