架空国家を作ろう 第2.6世界線 - フェルナンド家
フェルナンド家
基本情報
家祖ジョアン・フェルナンド・ド・パライーバ
分類貴族
財閥
発祥地ファゼンダ・フェルナンド
主な根拠地サントス港
基盤企業パライーバコーヒー
フェルナンド海運
CAFEパライーバ



フェルナンド家ブラガンサ家?の庶流の一家であり、新生ブラジル帝国になってからは、2代に渡りブラガンサ家?と婚姻を繰り返している名門である。
それと同時に、コーヒープランテーションとコーヒー豆の輸出から始まる海運業を主に財をなす財閥でもある。
新生ブラジル帝国の4大企業集団クワトロ・デ・オデッサの筆頭でもあり、爵位は1代限りと言う新生ブラジル帝国では例外的にパライーバ子爵号を継承している。

歴史

家祖のジョアンはアラリ公の次男である。
ジョアンは兄のアンジェロが、コロネルとして各地を転戦していた頃、所領のパライーバ渓谷のコーヒー荘園ファゼンダ・フェルナンドを守り、捻出した費用からアンジェロの連隊を影で支えてきた。
その功績はアンジェロがペドロ2世から、ブラサンガ家を受領した際に、アンジェロがペドロ2世に奏上し、ペドロ2世より直々にパライーバ子爵号を授与された程である。
また子弟にも恵まれ、本来なら1代限りの筈のブラガンサ王朝(これは新王朝でも継続している)において、代々継承している点でも稀有と見るべきである。
ブラジル合衆国の時代になり、ブラサンガ家が海外亡命した後もパライーバ渓谷を守り続け、経営不振となった近隣の各種荘園を取り込んで行きパライーバコーヒーの基盤を作った。
そして、基盤となる荘園を安定させるとリオデジャネイロ造船所に投資を始め、かつ船主として雇われ船長たちを使い、自家生産のコーヒー豆を中心とした貿易に手を出し始める。
これがフェルナンド海運の始まりとされる。
そしてパライーバコーヒーフェルナンド海運の2大柱を主に合衆国内で頭角を表すも、共和制時代において帝国主義的資本主義はあまり良い目で見られず、規模は拡大も縮小もせずに第1次世界大戦を迎えた。
帝国主義と植民地政策の帰結と言われた第1次世界大戦は、フェルナンド家には然程の影響を出さずに終わり、ブラジル共和制はヴァルガスの軍事クーデターにより倒れ、軍事政権が誕生する。
軍事政権に取ってフェルナンド家は明らかな王党派であり、目の上のたんこぶで有ったが内に共和主義者と言う難敵を抱える軍事政権は王党派を敵に回す意志はなく、フェルナンド家はここでも介入を受けずに第2次世界大戦を乗り切ったのである。

転機

第2次世界大戦終結後、ブラジルを始めとした南米諸国には多くの亡命者が流れ込んで来た。
そんな中、フェルナンド家に握手を求めて来たのがランペルツ商会である。
ランペルツ商会はドイツから持ち込んだ技術によりブラジルワーゲンを営む会社だったが、その実ナチス親衛隊の下部組織オデッサ?の1部であった。
彼らは連合軍に組する軍事政権や共和主義者より、より自分たちの理想に近い王党派と手を組むのを選ぶ。
これにより新興のランペルツ商会(=ナチス親衛隊残党)はフェルナンド家と密接に繋がり、フェルナンド家ランペルツ商会は一族同士の結束を強めて、王党派の支持のもとにブラサンガ家を大英帝国よりブラジルのペドロポリスへ呼び寄せた。

クワトロ・デ・オデッサ

1970年1月。王党派がブラジルカトリックの支持のもとに決起する。
この時にフェルナンド家ランペルツ商会と共に王党派へ資金と物資を提供し、フェルナンド家は帝国におけるコーヒー荘園の利権を手に入れた。
そして元国有企業のノケイブ(航空産業)とB.E.S.(ベス)(石油産業)を加えた4企業をブラサンガ家は優遇し、クワトロ・デ・オデッサ(オデッサの4家)と呼ばれるようになり、帝国の海外政策にかなりの影響を与えるに至る。

基幹企業