概要
2020年10月より日本領で、2022年にエーレスラントからの許可を得て独立国に。
国名は1542年にスペイン皇帝フィリペに由来して名付けられている。
日本の自治領であり、高度な自治は与えられており、現在もフィリピン国籍は存続されている。購買力平価で言えば、GDPは8000億ドル。1人あたりに直すなら8000$程度である。日本企業の将来有望な開発先であり、関税はもちろん無いことから、国内消費と輸出のための商品の生産拠点が詰まっている。その価値を持続するためにも、既に高レベルな少子化対策が行われている。日本企業の大規模な進出により、1人あたり実質gdpは毎年10%ほど上昇しており、物価も毎年3%ほど上昇している。工業化の進む中での少子化対策は、道徳の教育などを中心にそれぞれ児童や生徒より年下で関わりのない子供と関わらせ、子供を授かる意欲を強め、早い時期の男女平等を実現することで男女両方の育休取得を目指す。さらに晩婚化を対策するために40歳未満は男女共に一日の最大での労働時間を8時間とし、残業を禁止した。また、土曜日と日曜日を休日にする。さらに人口の5%を占めているムスリムのために、金曜日も追加で休日とする企業も多い。生活インフラは通信インフラ以外が完備されており、通信インフラは人口の7割程度の都市部には5gの通信インフラが完備されている。国民の40%が第一次産業に従事していたこともある農業国で、現在は日本屈指の農業の合同企業の協力で、ドローンなどを利用した効率の強化と技術向上が行われており、中には日本から移住した農家も多い。
歴史
25000~30000年前にネグリト族が流入して人類の定住が始まった。その後に原始マレー、古マレーが登場する。そのマレー種族は紀元前5世紀から紀元13世紀までに移住しており、既に文字が存在し、都市国家も形成されていたことが明らかになっている。
14世紀には明や東南アジアとの貿易で栄え、それを通してイスラーム教の教えが広がった。
その後、当時隆盛を極めていたスペイン帝国から艦隊が当方から到着し、1529年にはスペイン領土となる。その後、セブ島が初代の総督に領有されたことを皮切りにフィリピンは植民地支配を受けることとなった。1571年には植民地首府をマニラとした。さらにローマ・カトリックが布教されそれにより、現在はキリスト教の国家となった。1899年に米西戦争が勃発した。アメリカの支援によりフィリピンはエミリオアギナルド大統領の元で独立宣言が成されフィリピン第一共和国が発足。しかし独立は短く、パリ条約では独立が認められずにアメリカが支配をすることが決定された。これに反発して発生した米比戦争ではフィリピン人が60万人犠牲になりアギナルド大統領は逮捕。再び列強の植民地それから1916年に自治が認められ、1929年の世界恐慌では関税をかけるために独立させるという意見があったが実現せず。しかし1934年には10年後の完全独立が認められ、そのタイディングス・マクダフィー法はフィリピン国内では常識となっている。
第二次世界大戦中の日本による占領から、少し遅れはしたものの1946年に独立が達成された。1965年に20年間の開発独裁が敷かれたが、腐敗から人気を失い、中ソの介入により崩壊した。フィリピンの共産勢力はアメリカ軍とフィリピン政府軍と戦闘を行ない、長く存続していたものの、2020年に自衛隊により滅亡した。
ドゥテルテ政権は犯罪や腐敗の撲滅に走り、処刑を多く行ったものの、治安の飛躍的な改善などから国民から絶大な人気を誇った。しかしながら2019年に極右政治家と癒着していた軍部がクーデターを起こし、フィリピン旧政府を打倒してフィリピン植民地帝国を発足、パラオに進行して併合、そして戦時中の日本を後ろから攻撃して併合しようとした。しかし、自衛隊余剰戦力に完敗して降伏。日本国はマニラ条約によりフィリピンを併合した。そしてドゥテルテ政権が発足して日本の支援による経済発展が急速に進み、東アジアでの存在感が強まっている。現在は独立について日本政府とドゥテルテ大統領が協議を続けている。そして2021年9月に、フィリピンの独立と、日本との同盟関係の構築という形で独立が約束され、フィリピンにおいて利権を獲得していたエーレスラント連合王国の許可を得て、独立が確定、ドゥテルテ総理は総辞職し、先日行われた大統領選挙に出馬。独立を勝ち取った点をアピールし、得票率89%という驚異的な数値を叩き出して大統領就任が確定した
宗教
信仰の自由が認められているが、キリスト教カトリック信仰が多く、83%を占めている。5%はムスリム