ファベーラの原型になる物は、既にポルトガル植民地時代には確認できるが、その名は19世紀末のカヌードス戦争に記述がある。
カヌードス戦争は、パイーラ州のカヌードス村の貧困層が、時の共和制政府に対して反乱を起こした内乱であるが、政府は元奴隷の黒人を徴兵してカヌードスの鎮圧に当たらせた。
この時、政府は「勝利すれば住居を与えよう」と約束して、元奴隷たちを従軍させる。
黒人兵士らはカヌードスに赴き、ファベーラ(植物)の群生する丘(ファベーラの丘)に陣地を構え、反乱軍と戦い、カヌードス戦争は政府軍の勝利となった。
しかし、政府は黒人兵士たちを切り捨てた。
それに対して黒人兵士たちは、ファベーラの丘を占拠して住みだしたのが始まりとされる。
20世紀に入り、軍政時代に入ると極度に肥大化した工業と軍国主義は貧富の差を産んだ。
大都市に流れ込んで失業した貧困層は、国有地を不法に占拠し、住み着く。
やがて大都市郊外に有った、脱走奴隷たちの末裔の集落と結びつき、巨大な貧民窟を大都市郊外に出現させていった。