架空国家を作ろう 第2.6世界線 - ビルマ戦争
ビルマ戦争
時:皇歴30(1997年)年2月14日〜皇歴32(1999年)年8月25日
場所:ミャンマー全土
結果:シーランド帝国の勝利
交戦勢力
シーランド帝国ミャンマー
インド共和国
指揮官
ライオネス・ロバーツ・ペンドラゴン
兵数
306,00023,000(ミャンマー軍)
120,000(インド共和国軍)
損害
27,450019,100(ミャンマー軍)
98,000(民間人)
14,000(インド共和国軍)



背景

シーランド帝国第二次南アフリカ戦争にて敗北した。その為ブリテン島などを中心に侵略戦争に対し懐疑的な意見が出始めていた。これを受けて二代皇帝ライオネス・ロバーツ・ペンドラゴンはミャンマーを占領する事で国民の意識を変えようと画策した。

経過

戦争初期

皇歴30年(1997年)2月10日、シーランド帝国はミャンマーに向けて揚陸艦を含む計50隻の大艦隊をシーランド帝国領マレーシアから出向させた。しかし、この時シーランド帝国はミャンマーに対し宣戦布告を行っておらず宣戦布告を行う四日後までミャンマー政府からは雨の如き確認が来ていた。しかし、シーランド帝国はそれを無視して艦隊を真っ直ぐに向かわせた。このため14日、ミャンマー軍も国土防衛の為に艦隊を出向させるがシーランド帝国はこれを強く非難しミャンマーに正式に宣戦布告した。
宣戦布告と同時に開始された攻撃によりミャンマー艦隊は壊滅し制海権を喪失した。海からの脅威を取り除いたシーランド帝国艦隊は四か所にミサイル、艦砲射撃のち上陸した。更には空母から戦闘機が発進し制空権の確保に動き出した。シーランド帝国の奇襲とも言える攻撃を受けてミャンマーは大混乱に陥り成すすべなく沿岸部を占領された。
沿岸部を占領したシーランド帝国は兵が揃うと内陸部への侵攻を開始した。その間にもミャンマーの都市は戦闘機による攻撃を受けており政府機能はミッチーナに移転した。しかしマンダレー近郊まで迫った時突然インド共和国軍が国境を超えて侵攻した。この動きには軽く混乱し上層部は第三国を通じてインド共和国に非難声明を出すがインド共和国はシーランド帝国を国家承認していないため黙殺し軍をすすめた。国境部は突然の侵攻に対応しきれず撤退を繰り返した。一方のミャンマー軍もインド共和国と合流して反攻作戦を開始した。

戦線膠着

しかしシーランド帝国軍は制海権制空権を変わらず保有していたため補給は滞る事はなく航空支援などの上空からの援護もありインド共和国、ミャンマー両軍の進軍も完全に勢いをなくインド共和国の宣戦布告から三か月後には戦線は完全に膠着した。戦線膠着後も戦闘機や爆撃機からのインド共和国、ミャンマー両軍への攻撃や都市部への攻撃は継続して行われた。一方のインド共和国も海軍を動員して補給路遮断などの作戦を行うも失敗した。

インド共和国の撤退

戦線膠着から約二年後、インド共和国軍は撤退した。これはシーランド帝国がパキスタンやカシミールなどで工作を行い不安定にさせ為である。インド共和国撤退後、シーランド帝国は進軍を再開した。ミャンマー軍のみで勝てるほどシーランド帝国は弱くはなくインド共和国撤退から僅か一月でミッチーナまでを占領しミャンマーは降伏した。

影響

この戦争によりインド、シーランド間の関係は完全に冷え込んだ。シーランド帝国はインド共和国をポーランド・リトアニア・モスクワ帝国と同じ警戒レベル4に指定し現在でも警戒を続けている。

戦略