架空国家を作ろう 第2.6世界線 - ナミビア侵略戦争
ナミビア侵略戦争
時:皇歴44年(2011年)9月3日〜皇歴46年(2013年)4月29日
場所:ナミビア全土
結果:シーランド帝国の勝利。シーランド帝国領南アフリカに編入
交戦勢力
シーランド帝国ナミビア
指揮官
ライオネス・ロバーツ・ペンドラゴン不明
兵数
55,000(44年時)180,000
97,000(45年時)
合計約150,000人
損害
約43,000人約115,000人



背景

シーランド帝国シーランド帝国領南アフリカで起きた二週間戦争が落ち着いてきた2011年に侵略した(シーランド帝国の侵略戦争も参照)。侵攻前にシーランド帝国はナミビアに対し降伏する趣旨の文章を送っていたが当然ナミビアはこれを拒否した。20年前に独立をしたばかりのナミビアはようやく手に入れた独立を失う結果になるためナミビアは全力で抵抗を開始した。

経過


ナミビア全土の地図。赤い線は44年時の最前線、青色は45年9月までの最前線、緑は45年の年末までの最前線、橙色は降伏した時の最前線。

44年時

シーランド帝国は5万5千の軍勢で侵攻した。しかし、ナミビアは徴兵する事で18万の軍勢を用意しており先遣隊の千名は全滅した。これを受けてシーランド帝国軍は慎重に行動するようになったがナミビア軍は逆に攻め込んだ。突然の事態に驚いたシーランド帝国軍は混乱し自治領内への侵攻を許してしまう。その一方でボツワナとの国境から攻め込んだ部隊は順調に進軍していたが後方が脅かされたため深追いは出来なかった。そしてシーランド帝国軍は果敢に立ち向かうが数の暴力とも言えるナミビア軍に苦戦。死傷者を大量に作る結果となった。この時点で死傷者は3万人を超えていた。

45年時

このままでは南アフリカが陥落すると考えた帝国政府は増員を決定する。約十万の増援を迎えナミビア軍の勢いを完全に抑え込んだ。更にはナミビア北部沿岸部への強襲上陸も行われナミビア軍を同様及び二つに分けさせ戦力を分散させた。これを好機と見た東部軍を中心に侵攻を開始。東部軍はマリエンタルの占領に成功した。一方で中央軍の侵攻は思いのほか上手くいかず9月までの時点で奪われた領土を取り戻せていなかった。しかし、マリエンタルを陥落させたことで補給に問題が生じたナミビア軍は大規模な撤退を行いケイトマンスフープまで退いた。これを好機と見た中央軍は撤退する敵の背に銃弾を撃ち込み一万人の被害を出させることに成功した。ケイトマンスフープを防衛ラインとしたナミビア軍だったが北部に上陸したシーランド帝国軍の殲滅に失敗し北部を失いつつあった。それに加えてマリエンタルを中心に東部軍が西進を開始。ケイトマンスフープにいるナミビア軍を包囲する動きを見せた。これに焦ったナミビア軍は半数の軍勢を出して撃滅に向かうが兵が少なくなったケイトマンスフープを西部および中央軍が攻撃を行い敵の防衛ラインの破壊に成功する。結果、僅か三か月で首都ウィントフック以南の領土を全て失いナミビア軍も7万近い死傷者を出していた。

46年時

勝利が目前と判断した帝国軍は攻勢を強めて首都へと攻撃した。首都は砲撃により崩れ去りナミビア軍を肉塊へと変えていった。年が明けた1月3日、シーランド帝国軍はナミビアの首都ウィントフックを占領した。しかしナミビア政府は首都機能をウォルビスベイに移転しておりそこから抵抗を行った。だがこの時点でナミビア軍の死傷者は10万を超えており組織だった抵抗がほぼ不可能となりつつあった。更に2月に北部のグロートフォンテーンが陥落すると東部に展開するナミビア軍の指揮系統は完全に消滅した。東部に展開していたナミビア軍は隊ごとに抵抗したり降伏したりとまとまりがなくグロートフォンテーン陥落から一週間後には北部の殆どの地域がシーランド帝国の占領下に置かれた。そして4月初めに艦隊によるウォルビスベイの攻撃が行われ政治機能も消滅した。その二週間後には爆撃機の大編隊が襲い掛かりウォルビスベイをほぼ更地へと変えた。これを受け僅かに生き残ったナミビア政府関係者は降伏を決定。4月29日にシーランド帝国はそれを受け取り停戦となった。5月から戦争犯罪者の裁判が行われたが幹部クラスはほぼ全滅しておりナミビアの要人は誰一人として生き残っていなかった。その為収監された者はおらずナミビアはシーランド帝国領南アフリカに編入された。

影響

介入を受けた経験はあるが領土に攻め込まれたことがなかったシーランド帝国ではちょっとした騒ぎになり中にはそれが原因で心臓発作を起こして亡くなった者もいた。これを受けシーランド帝国では領土の防衛に関する戦略、戦術を確立させる様になった。
一方でほぼ破壊されつくしたナミビアに抵抗する勢力は残っておらず南アフリカよりも治安は安定している程であった。

戦略