1850年、モラヴィアのホドニーンの労働者階級の家庭に生まれた。当時モラヴィアはオーストリア帝国のオーストリア領内にあり、現在はチェコ共和国の領土となっている。父親のヨーゼフ・マサリクはオーストリア帝国のハンガリー領出身のスロバキア人であった。母テレーゼ・マサリコヴァはモラヴィア出身である。
若い頃鍛冶屋として働いていた。
ブルノ?、ウィーン、ライプツィヒで研究をして、ウィーン大学卒業。同大学院修了。 1882年にプラハ大学の哲学教授に任命された。翌年にマサリクはチェコ文化のための雑誌を出版、またオットー百科事典の編纂にも加わった。歴史についていくつかの作品を書いたが、この中で伝統的なチェコの神話学の詩を詐欺的とする論は、この詩を信じていた有力な人々から憎しみを買う原因となった。また、マサリクは起訴されたユダヤ人を保護し、人種的偏見に反対した。これによって人々からさらに憎しみを買った。