架空国家を作ろう 第2.6世界線 - ジョセフ・ヘンリー・イェーツ
ジョセフ・ヘンリー・イェーツ
出生1966年5月1日
死没2010年11月6日
出生地イギリス・グラスゴー
年齢44歳
性別
学歴大卒
職業シーランド帝国領南アフリカ三代目自治領指導者
称号シーランド帝国史上最悪の自治領指導者

来歴

自治領指導者になるまで

1966年イギリスのスコットランド、グラスゴーにて誕生する。幼少期はイギリス滅亡の時であったが本人は気にも留めずに伸び伸びと過ごしていた。そして13歳の時にイギリスは滅亡。スコットランドはシーランド帝国自治領となった。しかし、生活が特に変わる事はなく高校、大学と進学した。
転機が訪れたのは就活の時であった。偶々自治領府の官僚に応募したら合格し見習いとして働く事となったのである。そして順調にキャリアを積み2010年シーランド帝国領南アフリカの自治領指導者となったのである。

史上最悪の自治領指導者

自治領指導者となった彼は早速新政策を開始した。内陸部にまだ存在する敵対する民族との講和である。彼は使者を派遣するがそのどれもが無残な遺体で返されていた。しかし彼は諦めずに五度に渡って使者を送ったがそのどれもが遺体となった。
これに激怒したジョゼフはシーランド帝国軍に派遣要請を出し民族の殲滅を敢行する(二週間戦争)。しかし殲滅は失敗に終わり二千名の死傷者を出す結果となった(この時派遣された軍勢は二万を超えており民族の抵抗が如何に激しかったのかを物語っている)。これに対しジョゼフは軍の暴走と話を捏造。「銃で脅されて仕方なく許可を出した」と会見で涙を交えて話し世論は彼の支持をした。とは言え軍から提出された音声データなどから真相が明らかになるとジョゼフの地位は失墜し年明け前には自治領指導者から降格する事が決定した。それが通告されるとジョゼフは公金を湯水の様に使って毎晩遊び惚け始めた。諫めた者は残らず解雇され南アフリカから追い出された。

最後

ジョゼフの最後はみじめであった。2010年11月6日。何時もの様に公金を使用して遊んでいると数名の黒人に裏路地に連れられ殴る蹴る、鉄パイプなどを用いて撲殺された。体中の骨が砕け顔面は張りあがり涙と血を流して許しを請う様に死んでいた。警察はこれをジョゼフへの逆恨みか反政府主義者によるテロと考え調査をしていたが結局真相は分からず迷宮入りとなった。

親族

両親がいるがあまり仲は良くなかった模様。
他に兄と弟がいるが兄は軍人、弟はヒュー・リー・アランデルの弟子として活躍している。

エピソード

上記の様に史上最悪の自治領指導者と呼ばれており彼を反面教師に自治領指導者としての心構えを持つ様に通達されている。

名言

「フヒー!お、俺は自治領指導者だぞ!一番偉い存在なんだぞ!そ、そんな俺に逆らう気か!?」