自治領指導者となった彼は早速新政策を開始した。内陸部にまだ存在する敵対する民族との講和である。彼は使者を派遣するがそのどれもが無残な遺体で返されていた。しかし彼は諦めずに五度に渡って使者を送ったがそのどれもが遺体となった。
これに激怒したジョゼフは
シーランド帝国軍に派遣要請を出し民族の殲滅を敢行する(
二週間戦争)。しかし殲滅は失敗に終わり二千名の死傷者を出す結果となった(この時派遣された軍勢は二万を超えており民族の抵抗が如何に激しかったのかを物語っている)。これに対しジョゼフは軍の暴走と話を捏造。「銃で脅されて仕方なく許可を出した」と会見で涙を交えて話し世論は彼の支持をした。とは言え軍から提出された音声データなどから真相が明らかになるとジョゼフの地位は失墜し年明け前には自治領指導者から降格する事が決定した。それが通告されるとジョゼフは公金を湯水の様に使って毎晩遊び惚け始めた。諫めた者は残らず解雇され南アフリカから追い出された。