1910年代結党の老舗の労働者政党。極左政党として君主制・貴族制の廃止や労働者搾取の廃止を訴えてきた。旧体制下では体制への危険分子と看做され度々弾圧を受けたが地下活動や社会奉仕活動によって培った組織力と人脈を活かして勢力を拡大した。その後は議会重視の路線に転換し、市民運動に乗じて広報戦略により支持を集めた。1990年の総選挙でははじめて王国議会の第一党となり、1991年までに労働者共和国憲法を採択させた。労働者共和国時代には常に政権与党として国家の安定に寄与してきた。しかし、2020年のジョージアの総選挙で、かつての党内反対派であった勢力を中心とする平等党に敗れ、30年ぶりに野党の地位に転落した。一方、連合では引き続き与党をつとめている。
期間 | 代表 |
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1918-1922 | アミラン・ラゾシヴィリ |
1922-1923 | ニコラズ・タマゼ |
1923-1948 | ヴァフタング・ゼリア |
1948-1969 | エレクレ・ダヴリシヴィリ |
1969-1981 | バグラト・ジャヘリ |
1981-1986 | ダヴィト・ルガシヴィリ |
1986-2003 | ギオルギ・アダナシヴィリ |
2003-2004 | ルカ・タイシ |
2004-2008 | レヴァン・マルサウリ | イオナ・イオナヴァ |
2008-2012 | イリア・イノクヴァ |
2012-2016 | ベサリオン・レネヒ |
2016-2020 | レヴァン・マルサウリ |
2020- | ステパネ・ツワシヴィリ |
○歴代代表選挙
労働者党では従来指導部によって後継代表が自動的に指名される形式が取られており、ルカ・タイシまでの代表は選挙という形式では選出されなかった。しかし、労働者党の規模拡大により人数が増加したことや政権与党として有力政治家も多くなったことで代表選の実施を求める声が上がり、タイシ代表暗殺後にははじめて代表選挙が行われた。
年号 | 勝利候補 | 敗北候補 |
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2004 | レヴァン・マルサウリ イオナ・イオナヴァ | ビジナ・サクラシヴィリ |
2008 | イリア・イノクヴァ | ステパネ・ツワシヴィリ |
2012 | ベサリオン・レネヒ | グルゲン・スペレヴィアン |
2016 | レヴァン・マルサウリ | マルハズ・カルガリア |
2020 | ステパネ・ツワシヴィリ | トマ・クロシキリ |
・2004年
タイシ首相暗殺後、労働者党ではじめて行われた代表選挙。この際、まだ党全体での投票を行うことができなかったため、党要職による選挙が実施されることとなった。党主流派はレヴァン・マルサウリ、イリア・イノクヴァ、ビジナ・サクラシヴィリの3名から検討しマルサウリを代表に推したが、これに反発した党内改革派がイオナ・イオナヴァを支持して対抗、さらにアダナシヴィリ派のサクラシヴィリも党内部の不透明性を理由に立候補を表明して代表選挙が実施されることとなった。この代表選挙ではマルサウリとイオナヴァが同票で拮抗し、党分裂の可能性もあったが、イオナヴァは連合の政治家でアブハジアからの支持も受けていたことから、連合レベルの代表をイオナヴァ、ジョージアでの代表をマルサウリとする共同代表制が提案され可決された。
・2008年
レヴァン・マルサウリが病気で一時退任した際の後任選挙。マルサウリは後継者として自身の側近であるステパネ・ツワシヴィリを指名した。一方、マルサウリの政権運営に不満を持つ党主流派は主流派寄りで政治経験豊富であるイリア・イノクヴァを代表に擁立した。また、アダナシヴィリ派のステパネ・アルカシヴィリも立候補を検討したが、主流派候補のイノクヴァが自派への配慮も見せたため譲歩した。イノクヴァとツワシヴィリの一騎打ちとなり、党内から広く支持を集めたイノクヴァが代表に選出された。
・2012年
イリア・イノクヴァが一期を満了したのち退任したため、その後任を決める代表選挙。党主流派からは主流派の中心人物であるベサリオン・レネヒが出馬。一方、かつては党主流派に属しながらものち対立していたグルゲン・スペレヴィアンは党主流派と袂を分かって独自候補として出馬を表明、ステパネ・アルカシヴィリ率いるアダナシヴィリ派らの支持を受けた。党主流派はスペレヴィアンの代表選出を阻止するため、スペレヴィアンと関係の深かったマルハズ・カルガリア率いるタイシ派をスペレヴィアンから引き離して自派に取り込み、さらにマルサウリ派として立候補を模索していたステパネ・ツワシヴィリにも党結束のためとして立候補を断念させ、自派の支持を堅調にした。結果、レネヒとスペレヴィアンという新旧内務委員長の一騎打ちとなり、多数派工作が功を奏してレネヒが代表に選出された。敗れたスペレヴィアンは間もなく労働者党の離党を表明し、アルカシヴィリもこれに続いた。
・2016年
ベサリオン・レネヒが一期を満了したのち退任したため、その後任を決める代表選挙。党主流派は自派内部から有力候補を出せず、自派に協力しているタイシ派のマルハズ・カルガリアの立候補に相乗りする形で選挙戦を戦った。一方、マルサウリ派はレヴァン・マルサウリ元首相の体調が回復したこともあり、側近としてマルサウリ不在中の同派をとりまとめていたステパネ・ツワシヴィリではなくマルサウリ自身が代表選に出馬する運びとなった。結果としてカルガリアとマルサウリの一騎打ちとなり、元代表であるマルサウリが8年ぶりに代表の座に復帰することとなった。一方、カルガリアはマルサウリ代表の政権は受け入れられないとして離党を表明し、すでに離党していたグルゲン・スペレヴィアンに合流した。
・2020年
労働者党下野の責任を取りレヴァン・マルサウリが辞任。マルサウリ派からはマルサウリの側近であるステパネ・ツワシヴィリが代表選に出馬した。一方、党主流派はまとまって候補を出すことができず、内務副委員長であったトマ・クロシキリが自発的に立候補を表明して一部の党主流派はそれを支持したが、他の一部はツワシヴィリ支持を表明するなど、一致した行動をとることはできなかった。結果としてツワシヴィリが代表に選ばれることとなったが、労働者党は野党に転落していたため首相の座は手に入れられなかった。