サンパウロ市の起源は、1554年にサン・アンシエタが創設した宣教村である。その後人口はゆっくりと増大し、1565年にはサンパウロ市が創設された。
しかしサンパウロは内陸に位置し、本国ポルトガルとの連絡に不便であった為に、サトウキビ農園なども立地せず開発が遅れていた。
17世紀に入ると南米奥地探検隊の拠点となり、主に奴隷貿易を主産業に栄え始める。
しかし17世紀末に北方の
ミナスジェライス州?に金鉱が見つかると、金山に来る山師たちと奥地探検隊たちの間で対立が悪化し、1708年にはエンボアーバ戦争が勃発する。
結局
サンパウロ市は敗れ、
ミナスジェライス州?の開発権を失った。しかし、サンパウロの開発方向はその間も西へと向かい、ゴイアス州やマトグロッソ州方面の開発拠点となって行き、1711年には正式に市に昇格した。
19世紀には
サンパウロ市は国内でも大きな都市となっていたが、この時期の
サンパウロ市は未だ一地方都市に過ぎず、
帝都リオデジャネイロとは比べ物にならない小さな都市であった。
しかし19世紀前半、
帝都リオデジャネイロ周辺で行われていたコーヒー栽培が、地力の消耗などにより衰退し、コーヒー栽培が
サンパウロ州?をに移ってから状況が好転する。
元々
サンパウロ市の気候と土地はコーヒー栽培に適しており、産業革命の後押しにによってヨーロッパで嗜好品であるコーヒーの需要が爆発的に増加した為に、
サンパウロ市はコーヒーの集散地として急速に発展を遂げたのである。
1867年にはサンパウロと外港サントスとの間に鉄道が開通し、コーヒー経済はさらに拡大していった。
20世紀に入ると、
サンパウロ市58万人まで増加する。
しかしコーヒーブームに沸くサンパウロでは、労働力が不足していた為に、奴隷制度では存続が難しくなる。
そこで労働力としての移民の導入が始まり、イタリアなどから移民が始まった。
移民は船が着く
サントス港から列車で
サンパウロ市まで移動し、ここで各地の農場へと割り振られて行くこととなるが、中にはこの街にとどまるものもおり、また市外の農場へ入植した者達も、
サンパウロ市へと戻ってきた為、サンパウロは移民が世界中から集まる街となり、国際化が進む。
1908年には、最初の日本人移民船笠戸丸が
サントス港に到着する。
その後も続く日本人移民はサンパウロ州を中心に定着し、やがてサンパウロに日本人街を形成した。
第2次世界大戦を経て、
帝都リオデジャネイロの人口を超えブラジル最大の都市となる。
「ブラジルの奇跡」と呼ばれた高度経済成長期には、日本やドイツなどからの外国企業の進出が相次いだ。
1974年には地下鉄1号線が開通し、1985年には近郊に
グアルーリョス国際空港?が開港、21世紀においてもブラジルの経済を引っ張る存在である。