架空国家を作ろう 第2.6世界線 - コヒマ
コヒマ
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基本情報
インド共和国
ナガランド州
建設1878年
面積20㎢
総人口12万人
人口密度6,000人/㎢
UTC+5:30



概要

コヒマは、インドの北東部に位置するナガランド州の州都である。ほぼ10万人の住民人口を擁し、州内で2番目に大きな都市である。元々はケヒラとして知られていたが、コヒマは1878年に大英帝国が当時のナガ山地の本拠地を設立した際に設立されたものである。
1963年にナガランド州が発足した後、正式に州都となった。コヒマは第二次世界大戦で最も激しい戦いが繰り広げられた場所のうちの一つである。この戦いはしばしば「東洋のスターリングラード」と呼ばれている。
コヒマは、区と市の両方を構成している。コヒマ区の面積は20㎢である。コヒマは、区の南に位置する山脈の麓に位置しており、平均標高は1,261メートルである。

名称の由来

コヒマは元々ケウィ・ラ(Kewhi-ra)と呼ばれていたが、アンガミ語のケウィ・ラ(「花の'ケウィ'が生える土地」を意味する)を発音できなかったため、イギリス人によって正式にコヒマという名前が付けられた。
これは、山の中で見られる野生の花を咲かせる植物「ケウィ」にちなんで呼ばれている。地元では「ケウィーラ」と呼ぶ人が多い。

歴史

植民地時代

1840年代に始まったイギリスのナガ領土への侵略は、それまでどの帝国にも征服されたことがなかった独立を愛するナガ人たちの厳しい抵抗に直面した。
抵抗の激烈さは、イギリスが1万平方キロメートル以下の領土を征服するのに40年近くかかったという事実からも分かる。
コヒマは、1879年にガイボン・ヘンリー・ダマンが政務官に任命されたことで、ナガ山地地区(当時はアッサム州の下)の本部として近代行政の最初の拠点となった。

コヒマの戦い

第二次世界大戦中の1944年、コヒマの戦いと同時に行われたインパールの戦いはビルマ戦役のターニングポイントとなった。
ここで東南アジアでは初めて日本は連合国に主導権を奪われ、それ以後は連合国が戦争の終わりまでイニシアティブを保持していた。
コヒマには英連邦戦争墓地委員会によって維持される連合国の戦死者のためのコヒマ戦争墓地として知られている大規模な墓地がある。
墓地はギャリソンヒルの斜面にあり、かつてはテニスコートの戦いで激しい戦闘の舞台となった場所にある。墓地にある第2イギリス師団の記念碑に刻まれた碑文は、「小島の詩」として世界的に有名になっている。

When You Go Home, Tell Them Of Us And Say,

For Your Tomorrow, We Gave Our Today.

1944〜現代

1963年12月1日にナガランドが本格的な州になったとき、コヒマは州都となった。

気候

亜熱帯高地性気候に属し、モンスーンの影響で他の大陸に比べて夏と冬の差が大きく、緯度や標高の割には温暖である。6月から9月にかけて降水量の多くが集中する。
コヒマの冬は涼しく、まれに雨が降ることもある。夏は非常に雨が多い。最も寒い時期は12月から2月で、霜が降り、高地では雪が降ることもある。
夏は、6月から8月まで、温度は27〜32℃を推移する。大雨は夏の間に発生する。