来歴
カルトリ州ムツヘタ出身。労働者階級の家に生まれ、苦学してトビリシの王立大学に入学。大学院において、憲法についての博士論文を執筆。その後、教育者を志し王立大学の助教授となり、1973年には教授に昇格する。大学教授として教鞭をとる中で、階級制度の問題意識を感じ、平等主義に基づいた憲法改正を希求する。1980年、労働者党から王立議会選挙に出馬し初当選。党内でも学問的背景に裏打ちされた憲法理論が評価され、1986年には労働者党代表に推挙される。1990年の王国議会選挙では3選を果たすとともに、労働者党の大勝により首相となる。同時に憲法改正に着手、1991年には憲法改正の国民投票を行い、ジョージア労働者共和国の設立に尽力する。また、国内の民族問題にも関心を持ち、平等主義の観点から民族領域自治を提唱する。1992年にはアブハジア自治労働者共和国とジャヴァヘティ、アジャラの両自治州を設置し、さらに2003年のアブハジア独立とジョージア・アブハジアの国家連合の設立の先鞭をつける。教育者としての経験をもとに教育大臣として教育制度の改革にも努める。穏健派のリーダーとして国民から広い支持を集め、13年間にわたり政権を維持する。2003年、70歳を迎えたのを機に政界引退を表明。以後は政治の表舞台を離れ、隠居生活を送る。しかし、労働者党内部の対立を契機とする政治の混乱により憲法体制が揺らぐ中で、弟子筋のステパネ・アルカシヴィリやグルゲン・スペレヴィアンらに推され、2020年に平等党を設立し代表となる。同年、17年ぶりに議会選挙に挑み当選、平等党の勝利により首相・教育大臣に再任する。
親族
当時の大学教授としては珍しく貧家の出であり、家系に有名人はいない。独身であり、子はない。
エピソード
大学教授時代の弟子が多く大臣になっている。情報大臣のビジナ・サクラシヴィリ、財務大臣・首相のルカ・タイシ、教育大臣のステパネ・アルカシヴィリらである。