架空国家を作ろう 第2.6世界線 - カシミール連合
国名カシミール連合
国の略称UKS
公用語英語、ヒンドゥスターニー語、構成国の公用語
国教なし
国歌カラコルムの山々から
国の標語सत्यमेवजयतेनानृतंसत्येनपन्थाविततोदेवयान
首都夏季はシュリーナガル?。冬季はジャンムー?
最大都市シュリーナガル?
国家元首サリム・カーン三世(フンザ王。任期5年、支配者会議で互選。)
政治体制立憲君主制
憲法カシミールの憲法
人口1,5991,649人
GDP260億米ドル
通貨カシミール・ルピー
首相アルジュン・クマール(ルタ党)

  • カシミールの山岳
  • 言語
  • 政党
  • 政治の仕組み
  • 構成国
  • 外交
  • 治安
  • 軍事
  • 交通
  • 産業
  • 通信
  • メディア
  • 教育
  • 文化
  • 国民
  • スポーツ
  • 自然
  • 観光
  • 注釈
  • 脚注
  • リンク


  • 概要

    カシミール連合は、カシミール地方に存在するジャンムー・カシミール王国、フンザ王国、ナガル王国、ギゼル諸王地域、ダレル・タンギル部族地域、ディアマル特別地域、アストア特別地域、ギルギット自治共和国、バルティスタン王国、ラダック王国から構成される連邦国家である。

    国号

    国名はカシミール連合、カシミール山岳連合などと表記されることもある。

    歴史

    シク教王国の支配

    シク王国がパンジャーブ地方に成立すると、イスラムの支配に変わって、シク王国がカシミールを支配した。シク王ランジート・シンがカシミールを征服した。
    当初、アフガン人の支配を嫌っていたカシミール人はシク王国の支配を歓迎したものの、高い税金などに苦しんだ。農地は減り、カシミールのイスラム教徒の人権は弾圧された。しかし、1832年の飢饉の後にシク王国の弾圧は弱まり、政府が農民を支援したことで、カシミールはシク王国で2番目の収益を生み出す土地となった。カシミールのショールはヨーロッパ人達を魅了し、世界の注目がカシミールに集まった。
    1780年初頭、ジャンムーのラジャのランジット・デオが死ぬと、ジャンムーはシク勢力の家臣となった。ランジット・デオの孫、グラブ・シンはシクの将軍、ゾラワール・シン・カルリアの助けを借りながらナムゲル朝ラダック王国とマクポン朝バルティスタン王国を征服した。

    ジャンムー・カシミール王国

    1845年の第一次アングロ・シーク戦争後、アムリトサル条約によりジャンムーはシク王国の支配から解放された。これにより、ドグラ朝ジャンムー・カシミール王国が成立した。王国は英国の藩王国となった。1857年、グラブ・シンが死ぬと、後を継いだランビル・シンはギルギット、フンザ、ナガルを服属させた。
    ドグラ朝の支配は苛烈であった。多くのイスラム教徒が飢餓でパンジャブへの難民となり、国内ではイスラム教徒が重税、賃金なしの強制労働、差別的な法律による弾圧を受けた。土地も、ほとんどヒンドゥー教徒により独占され、イスラム教徒の農民の生活は破壊されてしまった。
    イスラム教徒には1930年代まで政治への参加権すら認められなかった。

    独立

    インド独立前夜、独自路線を貫き自治を守りたいジャンムー・カシミール王国はインドとの距離を置くためフンザやナガルと協力し、英国との条約を利用して独立を宣言をする事を画策した。インド独立前日、インドとの交渉が決裂し独立宣言をしたカシミールはジャンムーカシミールとナガル、フンザからなる連合国家として国際社会に認められた。しかし、インドからの圧力もあり、トゥプタン・ナムゲル外相はインド政府とアナントナグで会談、実質的な従属国となる密約を結んだ。

    内戦前


    独立したカシミールの運命は悲惨であった。
    アクサイチン地域は中国からの領土主張を受け、さらにインドの様々な要求に従わなければならなかった。その状況に国民は憤慨していた。
    また、ラダックのチベット人やギルギット、バルティスタンの人々はジャンムーカシミール王国による実質的な支配を嫌っていた。
    カシミール内戦の足跡は、ゆっくりと近づいていた。

    カシミール内戦


    始まりは小さな事件であった。
    レーで不当な扱いを受けたとして当局に抗議したテンジン・プブが警察に殺害されると、ラダック全土で不満が爆発し、レーではチベット高原の住民やおそらく中国政府の支援を受けたラダック人達が一斉に蜂起した。これが転機と考えたギルギットやバルティスタンでも蜂起がおこり、イスラム系住民とヒンドゥー系住民、仏教系住民の三つ巴の内戦となった。

    ギルギット・イスラム共和国

    ギルギットとバルティスタン地域はギルギット・イスラム共和国の成立を宣言した。しかし、シーア派やスンニ派などの様々な宗派が集まるギルギットは纏まることができず、すぐに内紛状態となった。

    カルギルの密約


    インド政府の支援を受けて、当時の強硬派のジャンムー・カシミール王が殺害されると、新たな王ランビル・シン二世が即位した。ランビル・シン二世はイスラムへの融和の姿勢を積極的に見せたため、イスラム系とヒンドゥー系の和解は仏教徒より早く起こった。カルギルで会談が行われ、そこでの密約により、自治権を約束する代わりにギルギット・イスラム共和国は解散し、地元部族などは政府軍に加わった。
    その後も内戦終結後までイスラム共和国の過激な残党の一部はテロや反乱を何度も起こした。

    ラダックの虎


    人口も少なく、窮地に立たされたラダックやバルティスタンのチベット系住民は、巧みな山岳ゲリラ戦により王の軍を翻弄した。ラダックの虎と呼ばれたラダック軍の司令官ギャチュ・サルジェの戦略は、裏に見え隠れする大国から手に入れた銃器により、大いに成功した。バルタルの戦いで山岳地帯を利用した奇襲に成功すると、首都のシュリーナガルにまで進行し、ラダック王国とバルティスタン地域の自治獲得を認めさせた。
    ラダックとバルティスタンはレー講和会議で自治権を持った王国として連合に加盟することが決定した。

    内戦の終結、新たなスタート


    なんとか内戦を終結させたカシミールであったがその代償は大きなものであった。強い力を手に入れたチベット系や虎視眈眈とカシミールを狙う各国は頭の痛い問題であった。不満は解決されず、フンザとナガルが離脱を匂わせるなど連合の結束は完全に壊れ切っていた。
    ランビル・シング二世はインドとの密約を暴露し、破棄するなど国民の支持を集めるために奔走した。

    デムチョク事件


    ラダックとの友好のためにデムチョクを訪れていたランビル・シング二世が襲撃され、退位することとなると、ジャンムー・カシミールでは王位継承争いとなり、その権威は失墜した。連合の崩壊が避けられない事を狙った新たなジャンムー・カシミール王、パダン・シングは連合を構成国する自治国の王家の中から王を選出するという案を考え、連合の崩壊を防ぐために奔走した。この構想は成功しカシミールは安定し始めたものの、従来政権を握ってきた支配層のヒンドゥー教徒や多くの貴族の反発を招き、パダン・シング襲撃事件が二度発生するなど、王家への不信感が高まってしまった。

    現代のカシミール


    2020年カシミールクーデターで逮捕されたチャンド・シン前首相

    カシミールには内戦の傷痕や地形と治安の悪さを生かした麻薬や武器の密輸、再燃するイスラム教徒との対立、虎視眈眈とカシミールを狙う大国といった問題は山積みだが、一応未来に向けて歩み出した。
    フンザ王であるサリム・カーン二世が連合王に就任すると、パダン・シング王と協調し、王家の権威を高めるためにジャンムー・カシミール王を称賛し、王室博物館の設立などを行ったため、不満はある程度解消された。
    人々は明日の事を考えるのに精一杯ではあるが、芽生えた僅かな平和はカシミールの民の希望となっている。

    地理

    ?
    標高8000m級のカラコルム山脈そびえ立つカシミール地方が国土。世界で2番目の高さのK2山がある。
    領土は美しい渓谷と山岳地帯、高原、砂漠が存在する。
    ジャンムーとカシミールの気候は、周囲の山の影響を大きく受けている。これらの山々と水域は南アジアや内陸アジアの厳しい気候と気温を大幅に緩和している。カシミールでは高度が異なるため、地域によって非常に様々な気候が見られる。カシミール渓谷やフンザ渓谷などは比較的穏やかな気候でだが、ラダックやバルティスタンなどは極寒の凍りついた砂漠で、ジャンムーは日照量が多く暑い亜熱帯地域である。
    カシミールの山岳
    順位名前高さ(m)地域写真
    1K28,611mバルティスタン
    2ナンガ・パルバット8,126mディアマル
    3ガッシャーブルムI峰8,080mバルティスタン
    4ブロードピーク8,051mバルティスタン
    5ガッシャーブルムII峰8,035mバルティスタン
    6ガッシャーブルムIII峰7,946mバルティスタン
    7ガッシャーブルムIV峰7,932mバルティスタン
    8ディスタギール・サール7,884mバルティスタン
    9クンヤン・チッシュ7,823mバルティスタン
    10マッシャーブルム7,821mバルティスタン
    11バトゥラ・サール7,795mフンザ
    12カンジュート・サール7,790 mフンザ
    13ラカポシ7,788 mナガル
    14サルトロ・カングリ7,788 mバルティスタン
    15チョゴリザ7,668mバルティスタン

    言語

    主にチベット系、インド系、イラン系の言語が話される。英国植民地であった名残から英語も話される。

    公用語

    連邦全体の公用語は英語、ヒンドゥスターニー語であり、構成国の言語であるラダック語やカシミール語なども公用語である。

    政党

    カシュミル王党派連合が長らく与党であったが、内戦後民族の平等を訴える左派のルタ党が与党となった。しかし、伝統的な王家の支持は根強く、ルタ党とカシミール王党派連合は連立政権を打ち立てることとなった。

    ルタ党

    民族間の協調を訴える党であり、内戦後王家の力が弱った隙に政権を握った。現在の当主はチャンド・シン。しかし、協調を掲げていても名ばかりで、結局はヒンドゥー支配であるとの批判も強い。設立当初は本当の平等を目指していたが、現在はヒンドゥー教徒の傀儡との見方がなされることがよくある。

    カシミール王党派連合

    カシミールの王家達を支持する者達の政党。フンザ王家やナガル王家などへの配慮のために中立的な名前であるが、古くはドグラ党と呼ばれており、ジャンムー・カシミール王国がカシミール全域を支配していた時代の与党であった。
    内戦後は名称を変えたものの、ジャンムー・カシミール王国内ではドグラ党と呼ばれ続け、ジャンムー・カシミール王の傀儡であった。裏ではヒンドゥー教徒しか中心の役職を手に入れられないようにされていた。しかし、内戦後しばらくしてラダックやギルギットにかなりの力がつくとそうもいられなくなり、現在では幾分か民主的であるとされる。

    カーフィル党

    世俗的な政党。支持は少ないが、若者などの支持者が多い。もともとは民主カシミール党という名前であったが、過激なイスラム教徒からカーフィル(不信心者)との批判受けたことから、皮肉としてカーフィルという名称を使い始めた。

    ヌール党

    イスラム系政党。ギルギットなどの指示が強い。ムスリムの権利拡大を目指している。
    前身はギルギット・イスラム共和国の与党であったギルギット・イスラム民主戦線と、全カシミール・ムスリム同盟。
    また、党員には解散した過激な非合法政党のアフダル法廷旅団の残党がかなり流れ込んでいるという話もある。

    ムスリム人権フォーラム

    イスラム系政党の中では比較的穏便な政党。カシミール連合の中でのムスリムの人権の保護とヒンドゥー教徒や仏教徒との共存を目指している。
    過去にはバルティスタンでのテロを首謀したことがあり、昔は非合法政党だった。

    サチ党

    ヒンドゥー教徒の支持者が多い政党。実質的にヒンドゥー政党と考えても良い。人口の少ないヒンドゥー教徒の政党であるため、支持者はイスラム系政党とは違い少ないが、力は非常に強い。
    基本的に与党に賛成の立場であることが多いが、対ムスリムの政策には強硬的である。
    資金の多くはヒンドゥー財閥やジャンムー・カシミール王家の資産から出ている。
    対イスラムに強硬的であるものの、一定の理解自体は示しており、少ないが無視できない量、少数宗派のムスリムの支持者がいる。

    カニシュカ・カ・マントラ

    仏教系政党である。支持基盤はラダックやジャンムー・カシミール、バルティスタンなど。名称がヒンドゥスターニー語なのは他の地域の支持者を取り込むためである。
    近年の宗教紛争に嫌気がさした人々の一部は仏教に改宗する傾向にあり、じわじわと支持者を増やしている。
    また、他宗教との融和や自由主義、チベット系の権利拡大などによって、非仏教徒やバルティ人の支持も多い。

    ランジート会

    無視できない少数派であるシーク教徒の政党である。シーク教徒の権利を守ることを目的としている。

    カシミール赤旗同盟

    唯一合法な共産政党。王政共産制なるものを掲げる。
    ポグド・ハーン政権に見習い、王政と共産制の両方の実現は可能であるとの立場であるが、カシミールの他の共産政党からは「それは特例であるため、基本的には望ましくない状態である」との批判を受けている。
    他の共産政党とは強い対立状態にあり、党首が拉致され殺害されるなどの事件も起こった。

    ヌール・カシミール運動

    近年急速に力をつけた非合法なイスラム政党。少々過激であり、2020年3月31日に禁止された。

    カシミール・マルクス・レーニン主義者戦線

    共産政党。独自路線のラール・カシミールとは対立している。デムチョク事件の首謀者は彼らであるとされる。
    独立時からの非合法政党。

    ラール・カシミール党

    共産政党。カシミール・マルクス・レーニン主義者戦線と同様に非合法である。内戦期に勢力を伸ばしたが、王家の力が増すと弾圧された。現在ではギルギット地方などに潜伏しているとみられる。

    大ジャンムー・カシミール党

    再びジャンムー・カシミールが現在の連合体制を破壊して、カシミール全域に強権的な支配を及ぼすべきであるという「大ジャンムー・カシミール主義」とヒンドゥー至上主義を掲げる政党。非合法であるものの、強い力を持っている。この背景には、ヒンドゥー系財閥やジャンムー・カシミール王家の者の影があるとされる。

    政治の仕組み

    立法

    連合議会がカシミール連合の立法府である。
    議席は下図のようになっている。
    ルタ党173議席
    カシミール王党派連合97議席
    カーフィル党52議席
    ヌール党48議席
    ムスリム人権フォーラム45議席
    サチ党45議席
    カニシュカ・カ・マントラ34議席
    カシミール赤旗同盟13議席
    ランジート会3議席

    行政

    カシミールの行政機関には以下のようなものがある。

    ・首相府
    アルジュン・クマール首相
    ・農業開発省
    マフムード・カーン農業開発大臣
    ・商業・供給省
    ランジット・シン商業・供給大臣
    ・協同組合・貧困削減省
    ファルーク・ハイダル・カーン協同組合・貧困削減大臣
    ・文化・観光・民間航空省
    ムハンマド・イブラヒーム文化・観光・民間航空大臣
    ・国防省
    ギャチャ・サルジェ国防大臣
    ・教育省
    クリシュナー・トゥルー教育大臣
    ・エネルギー省
    ジクメ・ナムゲル エネルギー大臣
    ・環境・科学・技術省
    ハリ・シン環境・科学・技術大臣
    ・連邦・地方開発省
    ディピカ・ガンディー連邦・地方開発大臣
    ・財務省
    オム・ジェイン財務大臣
    ・外務省
    アマル・シン外務大臣
    ・森林土壌保全省
    ピーター・ジェイムソン森林土壌保全省
    ・総務省
    ハーフィズル・ラフマーン総務大臣
    ・保健・人口省
    フセイン・シャー保険・人口大臣
    ・内務省
    アフマド・ハーン内務大臣
    ・産業省
    イムラン・カディール産業大臣
    ・情報・通信省
    ラナ・ダッド情報・通信大臣
    ・灌漑省
    クリシュナ・カトワル灌漑大臣
    ・労働運輸管理省
    シェール・プン労働運輸管理大臣
    ・国土改革省
    テンジン・ナムゲル国土改革大臣
    ・法務・司法・制憲議会・国会省
    ペマ・ノルゲイ法務・司法・制憲議会・国会大臣
    ・平和・復興省
    チャンドラ・ヴェルマ平和・復興大臣
    ・公共事業・運輸管理省
    ヴィノッド・グプタ公共事業・運輸管理大臣
    ・観光・民間航空省
    シャダンシュ・シャルマ観光・民間航空大臣
    ・女性・児童・社会福祉省
    ヌスラット・ラフィ女性・児童・社会福祉大臣
    ・青少年・スポーツ省
    ロケンドラ・シン青少年・スポーツ大臣

    司法

    カシミール連合憲法において、司法権とは、民事事件・刑事事件の裁判作用を行う権能を指した。行政事件は、通常の裁判所とは別系統の行政裁判所の所管であった。このほか、軍人・軍属などの刑事事件を裁判する軍法会議や、王族の民事事件を裁判する王室裁判所などの特別裁判所も設置された。
    カシミールは独立時、近代化のために部族法に反対する姿勢を取っていたものの、近年では伝統への回帰が盛んであるために、さまざまな部族慣習法が認められている。
    それに際して、部族慣習法を適用するための「登録部族制」と慣習法に基づき判決を下す「部族裁判所」が設立された。部族裁判所は旧来の長老会議などを引き継いでおり、裁判のために長老たちが招かれる。世俗的な生き方を求める結果として、登録を受けずに暮らす部族民も多いが、多くの場合は伝統的な生活を送ることを望む長老や他の部族民の強要の結果として部族登録をしなければならない人々の存在が確認されている。
    複数のカシミール国内の人権団体はこれを非難しており、部族慣習法に縛られる人々の解放を求める声も上がっているが、同時に伝統的な共同体の破壊にもつながる部族の解体は国民の多くから支持されていない。
    その結果として田舎の部族民の中でも、近代的な生活を望むものは都市部に移住することも多い。
    以下に部族法の名と、その適用を受ける集団を記す。
    • パシュトゥーンワーリー
    アフガニスタンを起源とするパシュトゥーン民族の法である。
      • ユスフザイ族
      • アチャクザイ族
      • サードザイ族

    構成国


    カシミール連合の構成国の地図。

    ジャンムー・カシミール王国?


    ジャンムー・カシミールの旗。






    ジャンムー・カシミールの風景。
    ジャンムー・カシミールはあらゆる面においてカシミールの中心である。

    二つの首都、ジャンムーとシュリーナガルのあるカシミール連合で最も強力な国。
    1846年、ジャンムーの領主であるラージプート、グラーブ・シングが、第一次シク戦争でイギリスに味方し、講和に尽力した。グラーブ・シングは第一次シク戦争の講和条約ラホール条約締結後、アムリトサル条約を締結し、イギリスよりシク王国から割譲されたカシュミールを与えられた。これにより、ジャンムー・カシュミール藩王国が成立した。
    カシミール連合はもともとジャンムー・カシミール王国とナガル王国、フンザ王国から始まった。
    王家はラジャの称号を持つヒンドゥー教徒で、長らくカシミール連合の君主であり続けた。
    住民はパンジャブ人からチベット人、イラン系の人々まで様々であり、宗教もイスラム、ヒンドゥー、シクなどが入り乱れている。
    カシミール連合の構成国ではもっと人口が多い。
    ムザッファラーバード県?
    北カシミール渓谷県?
    南カシミール渓谷県?
    ミルプル県?
    リアシ県?
    ウダンプル県?
    カトュア県?
    プーンチ領?
    チェネニ領?
    バド領?
    ザンスカール・プドゥム領?
    ザングラ領?

    ナガル王国?







    ナガルの風景。

    英国時代ではギルギット庁の下で管理されていた。
    カシミール連合北部にある王国で、面積約5000平方km。ナガールの南には7788メートルの山があり、 カシミール連合の中心地と隔絶されていた。1891年にイギリスの支配下に入ったが、ナガールはその時、年に1回カシミールへ貢物を送っていたため、イギリスはナガールをカシミール藩王国の属領だとみなしていた。ナガールが王国として公認されたのはカシミール連合が独立国になってからである。

    住民は系統不明のブルーシャスキー語を話す人とインド・イラン語系のシナ語を話す人々がいて、両方ともシーア派のイスラム教徒である。年に1回のシーア派の教主・アリの戦死記念日には、宮殿前に国民が集まって盛大なお祭りが行われた。大臣や兵士の宣誓に始まって、寺院での説教、国民へのごちそうの振る舞い、弓道大会や部族対抗の運動会などが3日間続いたという。

    ナガルは今でも自らの王への忠誠心が高い他、兄弟国ともいえるフンザに友好的である。
    力はフンザの方が強いものの、フンザとはライバル的な関係にある。








    フンザの風景。桃源郷と呼ばれた土地である。

    フンザはカンジュートとも呼ばれ、英国時代ではギルギット庁の下で管理されていた。
    カシミール最北部にあるフンザ地方を領土とする王国。かつて三蔵法師がインドのお経を求めて、はるばる中国から辿ってきたとされる土地でもある。高さ7000メートル級の険しい崖の難所を越えれば、緑豊かな高原が広がっており、旅行者や中国の人々などから「桃源郷」とも呼ばれた。
    山岳という天然の要塞に囲まれて、フンザは長年独立した地位を保ってきたが、1891年にイギリスの支配下に入った。フンザはナガールと共に、年に1回カシミールへ貢物を送っていたため、イギリスはフンザをカシミール藩王国の属領だとみなし、フンザが王国として公認されたのはカシミール連合が独立国になってからである。面積約1万平方km。
    フンザの言葉は系統不明のブルーシャスキー語が中心で、他にペルシャ語系のワキ・タジキ語やインド・イラン語系のシナ語を話す人もいる。宗教はイスラム教でも戒律が緩いイスマイール派で、住民たちはワインも飲んでいた。隣りのナガールとは宿敵同士で、しばしば交戦を繰り返していた。

    隣国のナガルとは過去、多くの争いを経験したものの、兄弟国ともいえる関係である。
    力ではフンザの方が強力なものの、現在でもライバル的な関係にある。

    ギルギット庁?


    ギルギットの旗。





    ギルギットの風景。

    ギルギット市を中心とした地域。もともとギルギット庁の管理下でジャンムー・カシミール王国の知事が派遣されていたが、内戦期にギルギット地域(ギゼルやバルティスタンも含む)がギルギット・イスラム共和国としての独立を宣言したためジャンムー・カシミール王国の管理下を脱した。連合にその後、ギルギット復帰した際には、再び「ギルギット庁」と名付けられた特別な機関により統治されることが決定した。
    美しい谷間にある地域で、ムスリムが多い。
    すこし反政府的な気風があり、カシミールの中央政府とは長らく反りが合わなかった。
    現在のサリム・カーン二世が即位して以降はカシミール中央政府とは概ね良好な関係にある。

    イシュコマン王国?

    ヤシン王国?

    ギゼル王国?

    クフ王国?

    プニヤル王国?

    連合政府直轄ディアマル辺境諸渓谷部族地域?







    ディアマルの風景。

    チラスを中心とした領域。
    ギルギット庁の下、管理されてきたチラスを中心とした地域。歴史的には辺境中の辺境ともいえる土地であり、強力な国家権力の下に統治されてこなかった。
    現在でも独立心の高い部族民が谷ごとに自らの勢力圏を築いており、彼らは憲法によって完全な自治を保障されている。
    部族は渓谷ごとに共和制的な長老会議によって支配されており、彼らにとって長老会議と部族慣習法は絶対である。
    こうした理由によりディアマルはカシミール国内法の適用外であり、部族法と長老会議の決定のみが法律である。そのために現在では犯罪の拠点となってしまっており、武器の密造や麻薬の製造、偽造パスポートや偽札の製造、犯罪者や武装勢力、過激派の潜伏先となっている。
    部族地域はいくつかの区に分割されている。
    タンギル区?
    ダレル区?
    トルク区?
    ホダル区?
    キネルガフ区?
    ギチェ区?
    バトガフ区?
    タク区?
    ゴル区?
    ブナル区?

    アストア特別地域?





    アストアの風景。

    アストアはギルギット庁の下でジャンムー・カシミールの知事が置かれていた。
    一時はギルギット・イスラム共和国の統治下となったが、後にジャンムー・カシミール王国の支配下となった。現在はジャンムー・カシミール王国とギルギット自治共和国の両方の共同統治下にある。

    ラダック王国


    ラダックの旗。







    ラダックの風景。仏教徒が多いため小さなチベットのようになっている。

    仏教徒の多い王国。イスラム教徒もカルギルなどに無視できない人口を抱える。
    民族はほとんどチベット系で、ヤクやヤギの放牧が盛ん。
    1400年代から続くナムゲル朝が統治していたが1800年代にジャンムー・カシミール王国に征服された。しかし、内戦時にギャチュ・サルジェの活躍もあり、ナムゲル朝ラダック王国が復活した。
    バルティスタン自治地域?





    バルティスタンの風景。

    チベット系イスラム教徒であるバルティ人の自治地域。
    ラダック王国の領域でありながら、殆どをイスラム教徒が占めているため、特別な地位を与えられた。
    8000m級の山々が連なる土地にある。
    1840年にドグラ朝に征服されたマクポン朝は復古させられ、現在はラダック王に服属しているバルティスタン王として、特別な権利を与えられた。現在の王はイブラヒーム・シャー。
    カルギル県?
    レー県?

    連合政府直轄シャクスガン特別国境地域?


    連合政府直轄シャクスガン特別国境地域は中国との国境地帯に設置された行政単位で、連合政府の直轄領域である。
    フンザとバルティスタンは歴史的な経緯により、この領域に対する権利を保有しており、土地利用などが認められている。
    マザール村が行政の中心であり、現在はカシミール政府により入植が進められている。
    元々の住人はキルギス人とタジク人、ウイグル人、そしてカンジュート人で、移住してきた華人も居住している。
    さらに、現在では農業開発のためにさまざまな地域から王の勅令により移住が進められたため、人種的に多様である。

    外交

    外交方針

    元々はイスラム系国家と国内の対イスラム政策をめぐって関係が悪化していたが政権交代後は良好になりつつある。

    締結条約

    なし

    加盟組織

    国際連合

    治安


    抗議する民衆と衝突する武装警官。

    非常に山岳の多い地形から警察組織が田舎ではまともに機能していない。そのために、麻薬の密輸ルートとなっている。

    王立カシミール警察


    王立カシミール警察はカシミールの主要な法執行機関である。カシミール憲法で定められた管轄区域内での法と秩序の維持、犯罪の防止、犯罪捜査を主に担当しており、主要な役割とは別に、VIP保護、重要施設のセキュリティ、交通管理、シークレットサービス、インテリジェンスコレクション、暴動管理、災害管理、人質救助、その他のさまざまな儀式的役割などのさまざまな任務を行う。

    王立カシミール武装警官隊


    反乱鎮圧を担当するカシミールの武装警察。半軍事的な組織として機能し、軍と法執行機関の両方としての二重の役割を果たす。入隊は任意であり、入隊の最低年齢は18歳である。当初15,000人の警察と軍人で設立された武装警察部隊は、2015年末には4万人まで拡大した。
    役割

    ・国内での武力紛争を制御する。
    ・国内の武装した反乱者、または分離主義活動を統制する。
    ・国内でのテロ活動を制御する。
    ・国内で進行中の暴動を制御する。
    ・自然災害や伝染病の被害者を救済する。
    ・凶悪で深刻な犯罪が発生した場合、または重大な災害などの懸念がある場合に市民を救う。
    ・国境を守る。
    ・外部の侵略に対して戦うカシミール軍を支援する。
    ・カシミール政府から割り当てられた重要な公共施設、インフラストラクチャ、その他の施設を保護する。
    ・人や公共の重要施設、研究所、その他カシミール政府により保護されていると見なされる施設や人を保護する。
    ・法律に従って割り当てられたタスクを実行する。
    ネパール政府によって随時割り当てられるタスクを実行する。
    ・税関、収入、産業の安全を保証する。

    王立カシミール国家情報局


    カシミールの諜報機関であり、国の安全保障や経済犯罪、汚職、国内および国境を越えたテロ、マネーロンダリング、麻薬、人身売買に関する情報を収集している。
    2020年4月6日に情報収集中の局員がアラビア連邦政府に逮捕された。

    軍事




    警備をするカシミール軍。

    現役兵95,000人と予備役62,000人からなる志願制の軍隊である。

    最高司令官

    カシミール憲法第四条により、王立カシミール軍の最高司令官の地位は、カシミール連合王にある。
    カシミール連合王は王立カシミール軍を、国防評議会の勧告に従い、指揮する権限がある。

    国防評議会


    憲法第9条によれば、首相、国防大臣、内務大臣、そして首相が指名する他の7つの大臣からなる国防評議会がある。評議会の勧告によりカシミール王が軍を指揮する。

    師団


    王立カシミール軍には6師団存在し、各地の防衛任務を担当している。
    ・北部地域
    ・東部地域
    ・中部地域
    ・南部地域
    ・西部地域
    ・深カラコルム地域

    階級


    ・大元帥
    ・野戦元帥
    ・参謀総長
    ・大将
    ・中将
    ・少将
    ・准将
    ・大佐
    ・中佐
    ・少佐
    ・大尉
    ・中尉
    ・少尉
    ・准少尉
    ・上級准尉
    ・下級准尉
    ・軍曹

    統計

    軍人–軍年齢
    17歳
    軍事力–可用性
    15〜49歳の男性 6,674,014人(2003年推定)
    兵力–兵役に適合
    15–49 歳の男性 3,467,511人(2003年推定)
    軍事力-毎年軍事年齢に達する
    男性 303,222人(2003年推定)
    軍事費-ドル
    5,722万ドル(FY02)
    軍事費 -GDPのパーセント
    1.1%(FY02)

    軍事史

    現在の王立カシミール軍は元々ジャンムー・カシミール王国軍から始まった。その後、ナガル軍やフンザ軍を吸収した。
    参加した戦争は下記の通りである。
    シャイドゥの戦い
    シークの最高司令官であるハリ・シン・ナルワの軍に参加したが、サイイド・アーメド率いる反乱軍に敗北した。
    ジャムルドの戦い
    ハザラとプーンチでタノリス、カラルス、ダンズ、サティス、スダンのイスラム教徒が蜂起した事で起こった戦いで、ガラブ・シン率いるカシミール軍は見事勝利した。カシミール軍はマルディヤルの首長であるシャムス・カーン・マルディヤルを捕縛し、処刑した。
    第一次アングロ・シーク戦争(1845〜1846)
    英国とカシミールの勝利に終わったこの戦争により、ラサール条約を結んだカシミールは多くの領地を獲得した。さらにその後のアムリトサル条約により、カシミールはシークの属国ではなく独立した主権国家の地位を手に入れた。
    セポイの乱(1857〜1858)
    英国の統治に対して、不満を持った者たちがセポイの乱を起こすと、英国の同盟者であるカシミールは英国人達の難民を受け入れた。その後、デリー包囲に大隊を派遣した。
    この結果、アムリトサル条約はカシミール優位になり、1862年にインドの星勲章を授与された。カシミールのラジャへの礼砲は19門から21門に増加した。
    ギルギット併合
    カシミールに反乱を起こし、独立状態であったギルギット地方を併合した。ランビル・シンはデビ・シン・ナラニア大佐、ビジャイ・シン大佐、ホシアラ・シン将軍をギルギットに派遣し、征服した。
    さらに、フンザとナガルを属国とした。
    カシミール内戦
    カシミールが独立した後に発生した内戦。
    カシミールの統一は保たれたが、ラダックやバルティスタン、ギルギットの自治を許す結果となった。

    交通


    地滑りで寸断されてしまったカラコルムハイウェイ


    馬は現在でも有効な交通手段である。


    シュリーナガル国際空港

    インフラは非常に低レベルであるが、最低限の鉄道、道路、空港は存在する。インフラの整わない土地では馬が主流な交通手段である。
    国土をカラコルムハイウェイとカシミールハイウェイが貫く。
    また、英国の藩王国であった時代に建設されたカシミール鉄道がバラムラからジャンムー・タウィまでを繋げる。

    空港

    カシミール連合には9箇所の空港がある
    ・チラス空港
    ・ギルギット空港
    ・ジャンムー空港
    ・ムザッファラーバード空港
    ・プーンチ空港
    ・ラジュリ空港
    ・ラワラコット空港
    ・スカルドゥ空港
    ・シュリーナガル国際空港

    鉄道

    ジャンムーからバラムラまでを継ぐ、総距離356kmのカシミール鉄道が存在する。この鉄道の建設は非常に困難なものであった。鉄道は750を超える橋を渡り、100 km(62マイル)を超えるトンネルを通過すると予想される。トンネルは新オーストリアトンネル工法で建造されている。
    政情不安な地域のため、全ての橋やトンネルなどは常にライトアップされ、テロなどを防ごうとしているが、それでも完璧ではなく、何度も事件が起こったことがある。
    この地域での鉄道の歴史は古く、1897年にまで遡る。カシミールの最初の鉄道はジャンムー・シアルコット線で、ジャンムー・カシミール王国時代に建てられ、その後に英国により拡張された。
    シアルコットまでの線は北部の政情不安により閉鎖され、現在では荒れ果てているため使用不可能であるが、復興させる計画がある。
    独立後、鉄道は補修や強化、改修を経て運用されている。

    鉄道はレッグ0からレッグ3までの四つの区間に分けられる。
    レッグ0
    ジャンムからウダンプールまで53 kmを走るレグ0。 2005年4月に完成した。
    レッグ1
    レッグ1は、ウダンプールからカトラまで25 kmを走る。この区間はは2014年7月4日に完成した。
    レッグ2
    レッグ2はカトラからバニハルまでの111 km間を走る。現在 建設中で2021年に開通予定である。
    レッグ3
    レッグ3は、バニハルからバラムラまで135 kmである。2013年6月26日に建設が完了した。

    産業

    主な輸出品や産業



    カシミールショールを身につけたフランスの皇后ジョセフィーヌ。


    サファイアはカシミールの主要な産出物の一つである。


    スル渓谷の農業。

    主食の米は多く栽培され、トウモロコシ、小麦、大麦、オート麦、アスパラガス、アーティチョーク、シーケール、ソラマメ、スカーレットランナー、ビートルート、カリフラワー、キャベツなどの栽培も行われる。
    渓谷では果樹栽培が盛んであり、梨、リンゴ、桃、サクランボなどが栽培される。
    林業はヒマラヤスギやもみ、松、スズカケノキなどがある。
    カシミールの特産品としてカシミアウールがある。ショールやパシュミナ、クルタ、ラグなど非常様々な種類の繊維産業はカシミールを支えている。
    インド地域向けの輸出品ではサフランなどが盛んである。
    また、シュリーナガル市では銀細工、張り子、木彫り、絹の織物産業も盛んである。
    サファイアの採掘はカシミールの主要な鉱業である。

    主な輸入先

    主な輸出先

    貿易相手国

    通信

    地上の通信設備は主要都市以外には殆どないと言っていいが、近年の衛星の充実によりカラコルムの山奥でも通信が行われるようになり、ヤクの取引などに使われるようになった。
    また、GPS機能は遊牧などに使われている。

    メディア

    王家のラジオや、ローカルなラジオが多く存在する。国営のラジオにラジオ・カシミールがある。
    民営のラジオは数え切れないほどにあるが、特に大きなのはラジオ・ヤールである。
    テレビは国営テレビのティービィ・カシミールと民間テレビのミシュカルナ・カシミールがある。また、王室の共同保有するラジャテレビも存在する。
    国営の新聞にはチャダヘー・カシミールがある。

    教育

    教育機関は整っておらず、地方では寺院などが教育の場となっていたり、地元の教師による青空教室が開かれている。
    最も大きな国立大学にカシミール大学がある。

    文化


    インド系の文化圏であるが、北部にはパミール諸語を話す人々などイラン系民族が暮らしており、レーやギルギットはチベット系文化圏である。また、フンザ王国などは独自の言語と文化を持つブルシャスキー人が暮らしている。

    料理




    カシミールの料理はインドやアフガニスタン、中央アジア、チベットの影響を受けている。
    有名なカシミール料理

    ・タバフマーズ
    ヒンドゥー教徒はカバルガフと呼ぶ。

    ・シャブ・デグ
    カブと肉を調理した料理。一晩煮る。

    ・デム・オラブ、またはドゥム・アロー 
    生姜粉、フェンネル、その他のスパイスで調理された料理。

    ・アーブ・ゴッシュ

    ・ゴシュタバ

    ・リャデル・チャマン、又はチャマン・カリヤ

    ・ルンワガン・チャマン
    トマトグレービーとカッテージチーズの料理

    ・リステ
    カレーにミートボールを入れた料理

    ・ナデル・ティ・ガード
    蓮の茎で調理された魚。

    ・マチャワンガン・カルメ
    スパイスとヨーグルトで調理された肉で、主にカシミールの赤唐辛子を使用されており、辛い。

    ・マシュガンド
    赤唐辛子で焼き戻した肉汁の子羊肉ミートボール。

    ・ワアゼプラーブ

    ・モンジェ・ハーク・コーラビ
    ハーク(特にウォステ・ハーク、ヘンズ・ハーク)のキャベツはカシミールの人々に人気があり、カッテージチーズ、マトンまたはチキンを使った独自の調理法がある。

    ・ムジュ・ガード
    大根の料理で魚を使う。

    ・ダニワールコルメラム
    コリアンダーまたはパセリで調理した料理。

    ・ローガン・ジョシュ
    ラムベースの料理で、カシミール唐辛子(ドライパウダーの形)、ショウガ(粉末状)、アサフォエティダでふんだんに味付けした肉と肉汁はカシミールスパイスとマスタードオイルベースで調理される。

    ・ヤカニ
    ヨーグルトベースのマトンのグレイビーソース。
    ターメリックやチリパウダーは使わない。
    料理は主に月桂樹の葉、クローブ、カルダモンの種で味付けされる。これは、スパイシーな風味のおかずを伴い食べられることが多い。
    ご飯と一緒に食べられるマイルドで繊細な料理である。

    ・ハリッサ
    朝食に人気のある肉料理で、スパイスを手でかき混ぜながら長時間調理される。

    宗教

    宗教は主にイスラム教、ヒンドゥー教、仏教であり、キリスト教やシク教、ゾロアスター教、ボン教なども僅かに信仰されている。
    最も多数派なのはイスラム教徒であり、シーア派、スンニ派、イスマイール派、ヌーフバクシアなどが信仰されている。
    ヒンドゥー教徒はジャンムー・カシミール州に多い。
    仏教徒は主にラダックやバルティスタンに暮らし、チベット仏教を信仰する。
    シク教徒は全土に存在し、無視できない規模の少数派を構成している。
    キリスト教徒は非常に少ないが比較的裕福である。
    ゾロアスター教徒とボン教徒、ジャイナ教は各地に非常に小さなコミュニティを持つ。

    音楽

    カシミールの音楽はインド、アフガニスタン 、イラン、チベットなどの影響を強く受けている。
    チャクリ
    カシミールの伝統音楽。ハーモニウムやルバーブ、サーランギー、ノウト、ゲゲル、トゥンバクネール、チムタなどの楽器が使われる。
    イスラム教徒にもヒンドゥー教徒にもポピュラーであり、民俗的にも宗教的にも演奏される。
    ヘンザエ
    カシミール・パンディットの音楽であり、カシミール音楽の最も古い形である。イスラム以前の貴重な様式を残している。
    ロウフ、又はワンウォン
    ロウフは主に女性によって踊られる伝統的な音楽とダンスであり、結婚式などの重要な場面で行われる。
    ラディシャ
    ラディシャは皮肉をふんだんにちりばめた面白おかしい歌である。社会的、政治的な内容を滑稽に風刺し、歌手は村から村へ旅する。歌はその場で作曲で作られ、村の状況にも合わせて歌われる。
    ラディシャを歌うのはとても難しいが、面白い。
    スーフィアナ・カラム
    スーフィアナ・カラムはカシミールの古典的なラーガ音楽である。サントゥールやケマンチェ、セタール、ワソール、ドクラ(タブラ)などを使用するペルシャの影響を受けたものである。
    ヒンドゥスターニー・クラシカル
    カルハナ著のラジャタランギニなどの書籍に言及された古典音楽。ポピュラーな楽器はサントゥール。
    ラダックの音楽
    ラダックの音楽はチベット文化の影響下にある。
    スルナやダマンなどの楽器が使われる。
    僧院での音楽にはチベット語やサンスクリット語の聖典の独唱が含まれる。

    国民


    ・カシミール人

    カシミール人の女の子たち。

    インド・ヨーロッパ系民族で、カシミールの主要民族である。主にコーカソイドだが、インドの他の地域との混血もあり、肌がくろっぽい者から、髪が金色の者まで様々である

    ・ドグラ人

    ジャンムー・カシミール王家はドグラ人である。
    カシミールの主要な民族の一つであり、カシミール全域からパンジャーブにまで住んでいる。
    ドグラ民族の人口は250万人である。ドグラ語を話し、主にヒンドゥー教を信仰するが、仏教徒やイスラム教徒も存在する。

    ・グルジャール人

    ラージプターナのグルジャール人戦士。

    グルジャール人はインド北西部からカシミールにかけて住む民族。グルジャールは各地で多様な生き方をしており、いくつかの王国の設立者でもあり、戦士であり、農民であり、遊牧民である。
    元々は中世ラジャスタンのグルジャナ国出身の民様であった。
    ・パンジャブ人

    パンジャブ人の家族。

    主にインドのパンジャブ地方に暮らす民族であり、一部はカシミールにも暮らす。シク教、イスラム教、ヒンドゥー教と様々な宗教を信仰している。

    ・バルティ人

    バルティ人の子供達。

    ギルギットなどに暮らすチベット系とダルド系の混合民族。もともとはチベット人だがイスラム教スンニ派が主流。しかし、一部はチベット仏教やボン教も信仰する。

    ・ブルショー人

    髭を生やした男

    フンザに多く暮らし、孤立した言語を話す謎の多い人々である。西洋では平和で長寿な民と考えられてきた。

    ・ダルド人

    ・ダドルワヒ人

    ・ワヒ人

    伝統的な衣装を着て楽器を奏でるワヒ人

    パミール系の民族。キルギスタンからカシミールまでの地域に暮らす。アフガニスタンにあるワハーンとはワヒ人からきている。
    主に遊牧で生計を立てる。

    ・パシュトゥーン人

    パシュトゥーン人の子供達。この写真はカシミールではなくアフガニスタンで撮られた。

    アフガニスタンなどの主要民族であり、カシミールにも僅かではあるがパシュトゥーン人が暮らす。
    美しい青や緑の目で知られている。

    ・ラダック人

    赤ん坊を背負う、ラダック人の女の子。

    ラダック人はチベット系の民族であり、仏教徒が多いが、イスラム教も無視できない力を持つ。ムスリムはシーア派が多い。

    ・チャンタン人

    遊牧生活を営むチャンタン。

    チャンタンはチベット系の遊牧民族である。主にヤクなどの遊牧により生計を立てる民族で、ラダック地方やチベット高原に暮らしている。

    ・プリグパ人

    ・シェイクガル人

    スポーツ


    ギルギット地方にあるポロ場


    クリケット場

    最も人気のあるスポーツはサッカーである。英国統治時代の影響もあり、クリケットも2番目に人気が高い。
    国技は馬を使った団体競技であるポロである。
    また、地形と気候を生かしたウィンタースポーツなども人気が高い。
    高地であるカシミールの選手は持久力が強い。
    コモンウェルスゲームズの出場国である。
    サッカー
    カシミールのサッカーは1891年から92年に宣教師の学校であるティンデール・ビスコー・スクールにより持ち込まれた。
    高地であるカシミールの選手は持久力に長けており、国際試合では大きな存在とはならないものの、アジアリーグに於いては無視できない力を維持している。
    クリケット
    カシミールでクリケットは2番目に人気のあるスポーツである。英国の藩王国であった時代に持ち込まれたクリケットは、男女関係なく人気がある。
    国際クリケット評議会に所属している。
    ポロ
    ポロはイランから伝わったカシミールでは歴史の古い競技であり、大きな村であればポロ場は多くの場所にある。
    国技でもあり、ポロ界隈ではカシミールの名は知られているほうである。
    マラソン
    この地域で行われるマラソンには、ラダックマラソン、グレートチベットマラソン、カシミールインターナショナルハーフマラソンなどがある。ラダックマラソンは、国際マラソン協会および遠距離レース協会に認定されており、世界で最も高い場所で行われているマラソンの1つである。
    アドベンチャースポーツ

    起伏のある地形と急流の川があるカシミールは、ヘリスキー、アイススケート、アイスホッケー、水上スキー、パラグライダー、登山、スノーボードなどのアドベンチャースポーツに最適である。
    これらを目当てにカシミールを訪れる観光客は多く、無視できない経済効果をもたらしている。
    王立カシミール・スポーツ評議会

    王立カシミール・スポーツ評議会の目的には、国内で学生と非学生の若者の間でスポーツ活動を促進すること、国のさまざまな地域でスポーツインフラストラクチャを作成および開発すること、財政支援と助成金を提供することが含まれまれる。組織は、カシミールの首相とスポーツ大臣がそれぞれ代表と副代表として率いている。スポーツ評議会は、州、部門、地区レベルで機能する。

    自然

    ほとんど手付かずの非常に美しい自然が残る。

    世界で最も登るのが難しい山に数えられるK2山


    ナンガ・パルバット山


    ニーラム渓谷


    スカルドゥ近郊の冷たい砂漠。この地域は世界の砂漠地帯中で最も標高が高いものの一つである。


    フンザのアタバード湖


    ラダック地方に位置する美しい湖パンゴンツォ。


    ユキヒョウ。

    国土は8000m級の山々がつらなる山岳地帯であり、氷河からの雪解け水が川となって谷間を流れる。
    多くのヤギやユキヒョウなどが暮らす自然豊か土地がほぼ全土を占めており、首都のあるカシミール渓谷などを除けば未だ開発されていない。
    カシミールは希少動物が多く生息しており、ユキヒョウ、チベットカモシカ、カシミールアカシカ、カシミールジャコウジカなどを見ることができる。
    王室の所有する非公開の動物園では、インドライオンを含む複数の希少動物が保護されているなど、王家は自然環境の保全に熱心である。
    しかしながら、シャトゥーシュ狙いのカモシカ密猟などが発生しており、多くの希少動物が犠牲となっている。
    こうした希少動物の毛皮や角、個体などは漢方薬や服、装飾品、剥製などとしての人気が高いため、カシミールからのワシントン条約に違反する輸出は年々増加傾向にある。

    観光


    フンザの風景


    ラダック地方、レーの旧市街。建物の最上階にはチベット文化圏らしくタルチョーがはためく。


    シュリーナガルの旧市街。首都シュリーナガルも古い美しい建物が多く残されており、カシミール観光の拠点となっている。


    フンザにあるバルティット砦。チベット文化の影響を受けている。


    レーの宮殿


    リキル僧院


    ラダックで撮られた写真。


    ラダック地方の町。


    ラダックやフンザの美しい光景は多くの観光客を惹きつけるものの、カシミールの現状から訪れることは不可能ではないが、難しい。
    当然ながら入国にはビザが必要であり、観光、就労、ビジネス、巡礼ビザが存在し、外交官用の物や特別な用途で発給されるものもある。観光入国の為には王立カシミール観光局への申請が必要である。更にカシミール国内を移動するには入域する王国への申請が必要である。ギゼルの場合は谷ごとに許可が必要である。部族地域では長老会議にて入域審査が行われる。
    現地文化への汚染を避ける為一部の国に関しては監視員が就くほか、入域を許可しない地域もある。
    一部の地域では治安が悪いためガイドを雇うことが重要である。

    レジャー

    カシミールではスキー、ゴルフ、川下り、ロッククライミング、トレッキングと言った大自然を生かした様々なレジャーが可能である。

    注釈

    <references group="注釈"/>

    脚注

    Category:〈国名〉?

    リンク