架空国家を作ろう 第2.6世界線 - エチオピア内戦
エチオピア内戦
Ethiopian conflict
時:2020年8月12日-2021年(継続中)
場所:エチオピア全土
交戦勢力
エチオピア帝国
エチオピア国民戦線
シーランド帝国
カトラス共和国
2020.10~
オロミア自治政府
アファール自治政府
エチオピア民主統一同盟
オロミア共和国
アファール国
オガデニア共和国
エリトリア国
エチオピア連邦政府
2020.10~
エチオピア連邦共和国
(反体制派連合)
イスラム国(ハバシャ)
エチオピア共産党
国際旅団
エチオピア国家社会主義党
アナーキーエチオピア
国境解放運動
指導者、指揮官
アムハ・セラシエ2世
アヴィ・ナガー
アディム・モハメド
メン・テドス(共)
アドゥ・ヒトラム(ファ)



概要

エチオピア帝国がゴタゴタになり、北部でエリトリア独立党、東部でオガデン解放戦線が蜂起、鎮圧しに行った帝国軍だったが、反乱に便乗した他の勢力によって囲まれた。
帝国政府軍は一時、アディスアベバとその近郊のみを支配する勢力となっていたが、シーランド軍の支援やエチオピア国民戦線の帝国政府軍合流、アディスアベバ守衛軍による激しい防御戦により、アディスアベバを守り抜いた。
さらに、8月よりシーランド東アフリカからシーランド軍が南部地域に侵攻してから、エチオピア共産党エチオピア国家社会主義党、エチオピア・アナーキーなどの拠点を次々と制圧し、南部地域のほとんどを9月までに奪還することに成功した。

主要勢力

エチオピア帝国政府

エチオピア帝国
中央政府であるが、アディスアベバ周辺地域のみしか実効支配できていない。一応支援勢力はいるため、実質的には勢力は大きい。
また統一エチオピアの支持は大きかったため、民衆は他の勢力に強権的な支配を被っているものの、実質的にはエチオピア帝国の支持者が多い。また、地方勢力は地方の一部地区のみを支配しており、主要幹線などはエチオピア帝国の勢力下であることも有利な点だ。
不利な点としては敵対勢力が多く、包囲状況にある。特にオガデニアやエリトリアとの敵対は激しく、東部や北部地域では実効支配地域をほとんど喪失している。また、内陸部に追いやられたことにより、海への出口も失った。

しかし、守衛軍による激しい抵抗や、シーランド軍による支援、国民戦線などの合流により、帝国政府の勢力は拡大していった。

エチオピア共産党

エチオピア共産党
エチオピア共産党の実効支配地域で、エチオピアの共産主義での統一を目標としている。
書記長のメン・テドスは、権威的共産主義であり、自分の思想に合わない人物を次々と粛清し、恐れた人民は共産党に従うしかなかった。また、周囲勢力と同盟や不戦協定を結ぶことによって、包囲を脱し、ファシストや帝国主義との戦いに集中することに成功した。
しかし、南部からシーランドに攻められることによって追いつめられている。アナーキーと同盟を結ぶことに反対の声も多く、分裂が懸念される。

また、四国連合共和国の国際共産主義者は、エチオピア共産党への連帯を表明し、密入国した500名は道中で同志を募りつつ、バレンシア・セルナ連隊(公称は2,000名であるが、実際には1,000~1,500名ほどであると見積もられている)が結成された。

バレンシア・セルナ連隊は、精鋭部隊でシーランドからの侵攻に激しく抵抗した。一時はシーランド軍の侵攻を食い止めたものの、シーランド軍の圧倒的な軍事率と物量の前に敗れた。バレンシア・セルナ連隊の崩壊と共産党内部の内紛(共産党の一部では帝国政府と合流する派閥やアナーキーと組むことに反対する派閥がいた)、シーランド軍による激しい爆撃により、9月28日には拠点であるアルバミンチを制圧された。共産党の有力者の多くはアルバミンチへ籠ることを選んだため、シーランド軍と帝国政府軍の捕虜になるか、殺害されるか、処刑されたか、周辺の共産党拠点に逃れた。指導者のメン・テドスは、アルバミンチ北部で自爆し、死亡した。
メン・テドスの自爆以降、一部ではゲリラ戦などが続いたものの帝国政府軍は、遅くとも11月までにはある程度の地域を制圧した。

エチオピア国家社会主義党

エチオピア国家社会主義党
ナチズムの実効支配地域。ファシストで、強権的な支配をしている。
党首のアドゥ・ヒトラムは、演説で人々の心を掌握し、帝国主義や共産主義の排除を煽った。
しかし、共産党との対立やシーランドによる帝国政府支援により、勢力は弱まりつつある。

エンリケ・アルマグロ以外に特に他国・他勢力から支援を受けることもなかったため、ファシズム自体がエチオピアで縮小傾向である。

エチオピア民主統一同盟

エチオピア民主党、エチオピア社民党などが連合した勢力。反政府勢力。
帝国政府の打倒を掲げている。
北西部に成立したエチオピア連邦共和国に参加予定の勢力で、帝国政府やファシストには反対の立場である。また、アナーキーと同盟を締結した共産党に不信感を抱いている。

エチオピア民主党の支持基盤自体が弱く、エチオピア連邦政府と目的がほとんど被っていたため、合流の案が出た時は真っ先に合流を表明した勢力でもある。

エチオピア国民戦線

帝国政府派。帝国政府との合流を目指している。
エチオピア民主統一同盟には反対の立場。
帝国政府派であるものの、国内の一部改革が必要であると穏便な改革を主張している。
また、断固として反共、反ファシズムで、反共と組んだエチオピア連邦共和国を愚か者であると罵倒している。
内戦後はエチオピアの最大野党となることが有力か。

帝国政府内では、西部に地盤を置き、西部地方の支持を集めている。

オロミア共和国

オロミア共和国
オロモ人の組織。反政府穏便派で、状況によっては帝国政府につくと示している。
オロミアコーヒー農園を営業中である。
また、アファール国とアファール=オロミア共同戦線を組織し、独立を目指している。
しかし、帝国政府につくか独立かで意見が割れ、現在実質的に分裂状態であり、オロミア共和国の中でも独立宣言や内戦が起こるなど、混乱した状態が継続している。

帝国政府合流派は、オロミア自治政府を発足させ、オロミア共和国から分離し、10月に帝国政府に合流した。

アファール国

アファール国
アファール人が蜂起し、建国。
アファール人民族国家の創設を目指している。
一部ではオーッサ・スルタン国の復古を主張している。
また、オロミアと共同戦線を組織したが、相互に離れているため、機能していない。

帝国政府合流派と連邦政府合流派で意見が対立し、アファール自治政府が分離し、帝国政府に合流した。残ったアファール国は連邦政府に合流することで合意し、連邦政府に合流した。

イスラム国(ハバシャ)

イスラム国(ハバシャ)
イスラム国のハバシャ支部を主張している。
イスラム過激派組織で、人質にしたり、非人道的行為を容赦なく行う危険組織。
また、非ムスリムならば外国人でも処刑する。
エリトリア国やアファール国を始め、周辺組織とすべて敵対している。
最近は規模を縮小し、山などに籠っている。

オガデニア共和国

オガデニア共和国
反政府過激派勢力。ソマリ人の民族国家建設を掲げている。
現在、オガデン地方を占領している。
エリトリア独立党を同盟しており、帝国政府打倒、分離独立を掲げている。
10月には、ソマリ人の自治と現体制の承認、帝国政府打倒でエチオピア連邦共和国と合意し、エチオピア反体制派連合に合流した。

エリトリア国

エリトリア国
エリトリア独立党が動乱の中、北部地域のエリトリア州を占拠し、エリトリア国の独立宣言を発表。
独立のためならば共産党と組むことも検討している。

10月には連邦政府率いる反体制派連合に加入した。

エチオピア連邦共和国

エチオピアの民主化勢力。
反帝政派で、エチオピア共産党などと協力関係にある。
エチオピア民主統一同盟も参加を表明しており、一部地域では安定した支配を達成しているものの、共産党と協力関係になったことで、組織分裂が懸念されている。

反体制派連合では、中心のまとめ役になることによって、他勢力の取り込みに成功した。

アナーキーエチオピア

無政府主義者の勢力。自由地区(エチオピア)を作った。
エチオピア共産党と一時協力関係にあったものの、思想上、エチオピア共産党に反対する者も多く、アナーキー自体が全くまとまらなかった。そのため、団結力、作戦力ともにボロボロであり、9月4日、拠点のジンカをシーランド軍によって陥落させられると瞬く間に自由地区(エチオピア)は崩壊した。一部の勢力は農村部に撤退し、ゲリラ戦などを続けたが、数は少なく、9月中にはすべて制圧された。
実質敵に自由地区の支配期間は1か月もなかったとされている。むしろ、自由地区が圧政であったこともあり、ジンカへの政府軍の入城は歓迎された。10月時点でアナーキーエチオピアはほぼ壊滅状態であり、勢力拡大の見込みは薄い。

協力・同盟関係

9月頃まで

  • 統一エチオピア同盟(帝国政府、エチオピア国民戦線)
  • エチオピア民主同盟(エチオピア民主統一同盟、エチオピア連邦共和国)
  • 共産アナーキー同盟(エチオピア共産党、エチオピアアナーキー)
  • エリトリア=オガデニア共同戦線(エリトリア国、オガデニア共和国)
  • アファール=オロミア共同戦線(アファール国、オロミア共和国)

10月以降

  • 統一エチオピア政府(帝国政府、エチオピア国民戦線、アファール自治政府、オロミア自治政府)
  • エチオピア反体制連合(エチオピア連邦共和国、エチオピア民主統一同盟、エチオピア共産党、アファール国、オロミア共和国、エリトリア国、オガデニア共和国)
  • ファシズム(エチオピア国家社会主義党
  • 黒軍(アナーキーエチオピア)
  • イスラム国([[イスラム国(ハバシャ))

支援勢力

エチオピア内戦の参加勢力の一覧
国家支援勢力
カトラス共和国カトラス公安局及びカトラス国防省
シーランド帝国シーランド帝国軍軽歩兵師団を中心に50個師団程
神聖ブランデンブルク帝国1軽歩兵師団(150人。基本的にシーランド帝国軍と行動)
新生ブラジル帝国エチオピア派遣部隊
インドネシア連邦インドネシア連邦エチオピア内戦対応

経過

内戦勃発

東部紛争が激化し、エチオピア東部でオガデニア共和国の独立宣言が出された。エリトリア独立宣言も同時期にされ、オガデニア=エリトリア共同宣言が発表。帝国政府への反旗を翻した。さらに、エチオピア民主統一同盟が帝国政府への反乱を発表。エチオピア共産党やアナーキー、アファール国準備政府も便乗し、国内は内紛状態に突入した。また、アファール国では独立派と自治派が対立したものの、内紛は意味がないとして、自治派が中立となることによって、内紛は免れた。
8月12日、エチオピア帝国政府は国家非常事態宣言を出し、諸外国などに内紛解決の依頼をした。また、アヴィ・ナガー首相は、同日会見を開き、国家の存続をかけた最後の戦い。愚かな分離主義者を滅ぼす最後の戦いだとした。

エチオピア帝国の飛び地勢力圏となったエチオピア国民戦線は、エチオピア帝国への協力の方針を示し、条件付でエチオピア帝国政府に合流すると通告した。エチオピア帝国政府はこの条件を受け入れ、統一エチオピア同盟を締結した。

また、エチオピア民主党は統一エチオピアに対抗するため、ほかの野党とエチオピア民主統一同盟を締結し、エチオピア帝国政府への戦いを示した。また、同時期に独立宣言を発表したエチオピア連邦共和国に合流するとの見解を示し、エチオピア連邦共和国と同盟を締結した。また、条件付で共産党とも同盟を結ぶことも示唆したが、共産党がアナーキーと同盟を結んだことで、党内部で反対派が拡大し、分裂も懸念されたため、共産党との同盟を撤回したが、秘密裏で不戦協定を結び、一応の中立関係となった。

南部では、共産党が勢力を拡大し、人質をとったり、恐怖支配をすることによって南部地域の人々を支配していった。また、アナーキーと同盟を締結したり、エチオピア民主統一同盟やオガデニア共和国と不戦協定を結んだりと周りの敵対勢力をなくしていった。
なお、エチオピア国家社会主義党とは対立状態であり、激戦が繰り広げられる。

エチオピアのアナーキーは、南部の一部地区を支配し、自由地区(エチオピア)を成立させ、無政府主義を掲げている。また、共産党と同盟を結ぶなど、一定の成果があったものの、ほかの勢力からは危機感を持たれ、排除された。

14日になると、新生ブラジル帝国やインドネシア連邦が支援を表明し、インドネシア連邦からは、食料・医薬品の無償提供を受けた。

また、各勢力は地方を支配しているものの、依然として「点と線」は帝国政府が抑えているところが多かった。

シーランド帝国による攻勢

シーランド帝国軍が南部からの侵攻を開始した。モヤーレの戦いで、共産連合軍を破ったシーランド軍は一気に快進撃を続けた。シーランド帝国の最初の攻勢により、南部地域の奪還に成功した。シーランド帝国軍は、9月には、アルバミンチを制圧した。しかし、共産党支配地域北部では、バレンシア・セルナ連隊、国家社会主義党支配地域ではエンリケ・アルマグロが激しく抵抗し、進撃は一時停止した。
しかし、これらの精鋭部隊もシーランド軍の圧倒的な軍事力と数で押し切り、突破した。
敵拠点へと爆撃が進められ、9月にはエチオピア・アナーキーの拠点制圧、10月にはエチオピア共産党、エチオピア国家社会主義党の拠点をそれぞれ制圧した。
エチオピア・アナーキー、エチオピア共産党エチオピア国家社会主義党は、拠点を制圧されたものの、一部勢力はゲリラ戦や、周辺の農村部に撤退し、完全制圧にはさらに時間を要した。

シーランド軍の圧倒的な軍事力により、反体制派が不利においこまれると、9月21日にオロミアがエチオピア帝国政府への条件付きでの合流を表明、同月24日にはアファール国も条件付きでの合流を表明した。
これに対抗する形で、エチオピア・アナーキー、エチオピア国家社会主義党イスラム国(ハバシャ)以外の反体制派各勢力(エチオピア連邦共和国、エチオピア民主統一同盟、オガデニア共和国エリトリア国エチオピア共産党)は、反体制連合を結成し、結束して帝国政府の打倒を掲げた。

エチオピア連邦大統領を宣言したサビ・モハメドは、本拠地のバハルダールにて、エチオピア民主統一同盟、オガデニア共和国エリトリア国エチオピア共産党の拡代表者とともにエチオピア連邦共和国の樹立を宣言した。しかし、反体制派による犠牲は大きく、恐怖支配をしたことから、市民の不満は高まっていき、統一エチオピアへ加担する者も少なくなかった。

第二次攻勢

シーランド軍は第二次攻勢を開始した。しかし、この時エチオピア共産党勢力下では、革命前衛党インターナショナルの国際旅団が到着していた。シーランド軍と国際旅団との激戦が繰り広げられる中、前進は少しの間停止した。

また、革命前衛党インターナショナル国際旅団の幹部が強襲ヘリ中隊により、襲撃されたことにより、国際旅団内で混乱が生じ始めた。

第二次攻勢の結果、ある程度の反政府組織の壊滅に成功した。

反体制派連合は、北部に撤退し、アスマラに拠点を移した。帝国政府軍は、北進を開始し、エリトリア州、東部地方の一部以外の実効支配を確立した。

内戦終結まで

エリトリアに逃れた反体制派連合は、アスマラやマッサワなどを拠点に最後の抵抗を実施した。エチオピア帝国政府軍は、北進を開始し、再び海へ出る作戦「リメンバーシー作戦」を実行した。エリトリア州は、反政府勢力の支持が堅く、エチオピア帝国政府軍は苦戦を強いられた。

11月中にアスマラの奪還に成功すると、反体制派はマッサワに拠点を移す。12月にマッサワを落とし、帝国政府軍は勝利宣言を発表。しかしながら、エリトリア北部やオガデン地方では残党勢力が目立ち、内戦は終わったとは言えなかった。

内戦の要因

内戦の要因は、エチオピアでの民族主義の高揚、統一エチオピアへの反発、地方勢力の台頭などによる結果であると考えられている。
また、統一エチオピアは消極的支持者が多かったため、他勢力の台頭によるポピュリズムに流されたとも考えられている。

一番の原因としては、エチオピア帝国がアムハラ人中心の政府であったため、他民族が差別されていたことが考えられている。エチオピア中央新聞では、エチオピア民族問題として取り上げている。

影響

内戦勃発による影響

反乱が起こったのは軍備のなさ、国家体制の甘さ、警察組織の不足が原因だとして政府内や与党内から批判が出た。そのため、内戦終結後は、軍備強化や警察組織の強化に乗り出す予定である。
また、行政組織改革を行い、地方のインフラ整備や開発なども進めていく姿勢だ。

そして、内戦後混乱期に突入したエチオピアは、エチオピア復興計画を立てることとなった。

被害

内戦による人的被害はもちろん、空爆や戦闘による建造物の被害、都市への被害、食糧への被害、各勢力による人権侵害などの被害も大きかった。

各国の反応・声明など

シーランド帝国

初期はエリトリア支援の声もあったが、最終的に帝国政府支援となった模様。8月中旬、シーランド領東アフリカからの部隊が南部へと侵攻を開始した。

四国連合共和国

四国政府は、14日未明にエチオピア内戦に参加した四国人義勇兵について、「犯罪者である」との見解を示した。そして、エチオピアの諸勢力に対し、四国人義勇兵を受け入れないように求めた。

新生ブラジル帝国

14日未明、エチオピア帝国首都にある大使館及び帝国銀行救出の為に部隊派遣を検討していると発表

また、シーランドの空爆に乗じて軽攻撃ヘリね拠点に強襲をかけることを発表した。

インドネシア連邦

エチオピア帝国政府を唯一の政府と認め、それ以外の武装勢力から攻撃を受けた場合は反撃しますが、積極的に戦闘は行いません。

各勢力の反応・声明など

四国世界革命運動

四国の国際共産主義団体「四国世界革命運動」は、革命前衛党インターナショナルに対し、エチオピア共産革命への全面支援、国際旅団の派遣を求めた。
四国世界革命運動議長シルベストレ・ウリアルテは、「エチオピアの労働者人民を見捨ててはならない。すべての共産主義者はエチオピアのために戦うべきだ」と述べた。(14日未明発表)

革命前衛党インターナショナル

我々はエチオピア労働者人民と全面的に連帯する。
すべてのエチオピア労働者人民は同志である。万国の共産主義者よ団結せよ。
エチオピアの同志を救うため銃をとれ。(発表日不明)

報道

帝国政府、停戦に向けた動きを表明

アヴィ・ナガー首相は、内戦停戦に向けた動きを明らかにした。
シーランド等帝国政府軍により、反体制派連合は壊滅的な被害を受け、北部や東部に後退している。
これにより帝国政府は停戦の交渉へ動くことを表明。
しかし、エリトリアやオガデニア、連邦政府は「断固として拒否」としているため、交渉は困難か。

関連項目