東部紛争が激化し、エチオピア東部でオガデニア共和国の独立宣言が出された。エリトリア独立宣言も同時期にされ、オガデニア=エリトリア共同宣言が発表。帝国政府への反旗を翻した。さらに、エチオピア民主統一同盟が帝国政府への反乱を発表。エチオピア共産党やアナーキー、アファール国準備政府も便乗し、国内は内紛状態に突入した。また、アファール国では独立派と自治派が対立したものの、内紛は意味がないとして、自治派が中立となることによって、内紛は免れた。
8月12日、エチオピア帝国政府は国家非常事態宣言を出し、諸外国などに内紛解決の依頼をした。また、アヴィ・ナガー首相は、同日会見を開き、国家の存続をかけた最後の戦い。愚かな分離主義者を滅ぼす最後の戦いだとした。
エチオピア帝国の飛び地勢力圏となったエチオピア国民戦線は、エチオピア帝国への協力の方針を示し、条件付でエチオピア帝国政府に合流すると通告した。エチオピア帝国政府はこの条件を受け入れ、統一エチオピア同盟を締結した。
また、エチオピア民主党は
統一エチオピアに対抗するため、ほかの野党とエチオピア民主統一同盟を締結し、エチオピア帝国政府への戦いを示した。また、同時期に独立宣言を発表したエチオピア連邦共和国に合流するとの見解を示し、エチオピア連邦共和国と同盟を締結した。また、条件付で共産党とも同盟を結ぶことも示唆したが、共産党がアナーキーと同盟を結んだことで、党内部で反対派が拡大し、分裂も懸念されたため、共産党との同盟を撤回したが、秘密裏で不戦協定を結び、一応の中立関係となった。
南部では、共産党が勢力を拡大し、人質をとったり、恐怖支配をすることによって南部地域の人々を支配していった。また、アナーキーと同盟を締結したり、エチオピア民主統一同盟やオガデニア共和国と不戦協定を結んだりと周りの敵対勢力をなくしていった。
なお、エチオピア国家社会主義党とは対立状態であり、激戦が繰り広げられる。
エチオピアのアナーキーは、南部の一部地区を支配し、
自由地区(エチオピア)を成立させ、無政府主義を掲げている。また、共産党と同盟を結ぶなど、一定の成果があったものの、ほかの勢力からは危機感を持たれ、排除された。
14日になると、新生ブラジル帝国やインドネシア連邦が支援を表明し、インドネシア連邦からは、食料・医薬品の無償提供を受けた。
また、各勢力は地方を支配しているものの、依然として「点と線」は帝国政府が抑えているところが多かった。