来歴
アジャリア州バトゥミに生まれる。地元の景観保全などに関心を持ち、トビリシの王立大学で学んだのち26歳のとき無所属でバトゥミの市議会議員に立候補し当選。しかし、当時は中央集権が強く、官選知事の意向で計画が認められないなどの挫折を味わう。そのような中、富豪アンドリア・ガンガゼの地域主義政党である地域党の活動に関心を持ちこれに参加。31歳で国政選挙に挑み見事初当選を果たす。以後地域党の国会議員として10年間活動するが、労働者党政権の成立にあたり、ズラブ・タルタリアらが社会自由党を結党すると、新政権下での地域主義の本格化に期待を持ちこれに参加する。社会自由党はアブハジア州が母体の政党であったが、バトゥミに地盤を持つクヴァシシらの存在もあり次第にジョージア東部で勢力を拡大する。1995年、ゴチャ・バフリアニの幹事長退任に伴い党幹事長に就任。2003年の連合成立後はタルタリアがアブハジア、バフリアニが連合で閣僚を務める中でジョージアにおける党の中心人物となり、2004年には55歳で初入閣。以後16年に亘り閣僚を務める。閣僚としては、2度のレヴァン・マルサウリ政権では財務大臣、イリア・イノクヴァ政権とベサリオン・レネヒ政権では経済大臣のポストに任ぜられた。2020年に国政から退くと、アジャリア出身の経験ある政治家としてアジャリア自治州の知事に任ぜられる。アジャリア自治州が創設されてからはテンギズ・ヴァングリアア、メラブ・ハラゼ、ボリス・ハリシに次ぐ4人目の知事となった。