台湾戦争
時:11月5日から
場所:台湾
結果:中華民主共和国連邦の滅亡、台湾共和国成立
交戦戦力
中華民主共和国残党台湾共和国
指揮官
台湾:武睿中華民主共和国連邦:钱睿
兵数
台湾220000人中華民主共和国430000人
損害
台湾共和国:120000370000



背景

2021年の11月5日に台湾神聖政府及び三島神聖政府連合が崩壊。そこに同じく崩壊していた中華民主共和国連邦の残党軍が流入。中華民主共和国連邦は当時の友好国であったため、支援が検討された。しかし、支援をする前に中華ソビエトとの関係悪化を懸念し、中華民主共和国連邦以外の政府を設置することを決意した。そこで当時の自衛隊がUH-60-JAを大量に配備し、新政府設立を提案するビラを散布。有志で立ち上がった5名の有力者を対話で統合し、中華民主共和国連邦に宣戦布告。

経過

事の発端となった日本は陸上自衛隊は介入せず、航空自衛隊、海上自衛隊が介入した。中国大陸を領土としていた時期も、正規空母を1隻も保有できない程度であったため、苦戦を強いられることはなく、台北郊外を陣地とする中華民主共和国連邦との戦闘が始まった。
戦争開始時の中華民主共和国連邦は、このように台北と、南側、東側を支配領域としており、都市は台北とその周辺のみしか保持しておらず、その戦力のほとんどが山岳仕様の師団であった。
初日から中華民主共和国連邦は、首都の台北を保持していることから強気に出て、大攻勢を仕掛ける。しかし、山岳仕様の師団では都市部を攻めきることはできず、台湾共和国の犠牲者2万人に対して、中華民主共和国は14万人の巨大な損失を被ってしまう。さらには3日目の日本空母の到着により、拮抗していた制空権を失い、戦闘機の攻撃により、対空設備をろくに装備していなかった台湾島では制空権を失っていた中華民主共和国連邦が巨大な損失を被ることとなる。日本本土からも送られてきた戦闘機の対地攻撃により中華民主共和国連邦は一方的に5万人の犠牲者を出して、台湾共和国は台北に大攻勢を開始、また、海兵隊8000人と後続の機械化歩兵師団2個師団24000人が海上自衛隊の支援により、台湾の背後である基隆市に上陸、二正面作戦を迫った。その後もいくつかの師団が上陸し、最終的には9万人が上陸した。この台北の戦いでは両軍合わせて30万人も動員されることとなり、中華民主共和国連邦軍は劣勢の中で水道管などを利用した小規模な奇襲を繰り返し、機械化が進んだ格上の部隊に対して優勢に戦っていた。しかし物量と質の両方で下回る中華民主共和国連邦軍は耐えきれなくなり、台湾共和国にその首都を明け渡した。これで台湾戦争最大の戦いである、台北の戦いが集結。激戦の中で台湾共和国は10万人、中華民主共和国連邦軍は21万人の犠牲を被った。この時点で中華民主共和国連邦政府は組織的な戦闘力を失い、山岳や森林こそ彼らの有利な箇所であったが、攻勢をかけることは出来ず、台湾戦争の正面戦闘の場面はほとんど終了した。組織的抵抗が終了した後は、残党の残る台湾奥地を攻撃することとなる。とはいえ、山岳仕様の師団が常駐する奥地に機械化歩兵や機甲師団は分が悪く、自衛隊による海上封鎖と、砲兵による補給路の破壊、機甲師団による道路制圧、攻撃ヘリで制空権を奪取し、残った8万人に対する兵糧攻めを敢行。2週間ほど経過した時点で2万人の犠牲者を出した中華民主共和国連邦軍はついにのこっていた唯一のヘリから白旗を挙げ、降伏した。

影響

この戦争の影響で、中華民主共和国連邦は滅亡、新しい政府として台湾共和国が誕生。日本の影響力が入り込むこととなった。そして、被害が軽微だったこともあり、復興のために日本が投下した2兆円の復興資金のうち、2200億円だけで街を再建、また、1人あたり3万円の特別給付金を拠出し、消費を促した。残りの1兆1000億円のうち、3000億円は保育所の建設、母親への給付、残りの8000億円でリニアモーターカーを南北に渡って建設。建設を行ったJNRは大いに売上を伸ばした。また、給付による景気の向上は著しく、経済成長率は5,2%と、前年を大きく超え、高度経済成長期の到来を予感させている。

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