プノンペンの戸惑い
時:1990年6月14日〜6月28日
場所:プノンペン
結果:クーデターの勝利。クメール・ブリタニアの建国
交戦勢力
シュナイゼル・エル・ブリタニア率いるクーデター勢力カンボジア王国
指揮官
シュナイゼル・エル・ブリタニアノロドム・シハヌーク
カノン・マルディーニ
兵数
13,0003,000
損害
5002,500



背景

ブリタニア大公家当主となったシュナイゼル・エル・ブリタニアは自由に活動できる足場を求めていた。カノン・マルディーニを始め優秀な人材は確保しており後は国を得るのみだった。そしてシュナイゼルは内乱と愚衆政治で腐敗したカンボジアに目を付けた。シュナイゼルは当主を継いでから2年の間味方を集めクーデターの準備を始めた。更に実行の際の動きを何度も確認し実行日に備えた。そして6月14日何も知らない王都プノンペンに奇襲を仕掛けた。

経過

最初に起きたのは民衆に扮したクーデター勢力による暴動だった。彼らは王政府の腐敗を叫び民衆を焚きつけた。そして付いて来た者たちと共に街で大暴れを始めた。この暴動に王都にいた三千の兵士が鎮圧に向かった。その隙をつくようにシュナイゼル率いるクーデター本隊が政庁や王宮に襲撃をかけた。大半の兵士が鎮圧に向かったため防備が薄かった政庁などは簡単に落ちカンボジア王国の中枢を占領する事に成功した。掌握したシュナイゼルは暴動部隊と合流。カンボジア兵を前後から挟み撃ちにした。突然の後方からの攻撃にカンボジア兵は大混乱に陥りその大半が討ち取られた。僅かに残った者たちは降伏しプノンペンは僅か四時間でシュナイゼルの占領下になった。シュナイゼルはカンボジアの滅亡とクメール・ブリタニアの建国を宣言した。カンボジアに嫌気がさしていた民衆はこれを歓喜を以て迎え入れた。その後クメール・ブリタニアは降伏した都市から兵を集め反抗する地域の討伐を行った。まとまりがない彼らは呆気なく倒れカンボジアは二週間でクメール・ブリタニアの支配下へと入った。

影響

クメール・ブリタニアは視点を変えればイギリスの後継国家と呼べなくもなく(ブリタニア大公家はイギリス王族と血縁関係にある)当初シーランド帝国は警戒を強めていた。しかし、第三次ブリテン戦争で支援を受けた事で借りを作ってしまい属国にする時も終始クメール・ブリタニアのペースだった。その為シーランド帝国は表では頭が上がらず裏では最大限の警戒をするようになった。

戦略

王都占領の際の動きに無駄はなくまるで詰将棋の様に淡々と進んでいた。それだけ計画を立てたシュナイゼルの非凡さが伺える。

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